備中国分寺跡
備中国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 00:13 UTC 版)
創建当初の国分寺跡は現在の国分寺境内と重複している。寺域は東西160メートル・南北180メートル。出土した土器などから中世初期まで存続したと推定されている。なお国府は賀陽郡であるが、国分寺は窪屋郡に位置している。 伽藍は以下に示すもので、配置は法起寺式と考えられている。一部は現伽藍と重複しており、詳細は明らかでない。 南門 - 南端に位置する。間口5間・奥行2間。天平年間に3間1戸から5間1戸に大改修されている。 中門 - 間口5間・奥行2間。全体としては南門を上回る規模。南門との間には大井戸が見つかっている。 塔 - 高さ約50メートルの七重塔。 金堂 - 現在の境内伽藍の下にあり、位置・規模は不明。 講堂 - 金堂同様に位置・規模は不明。 井戸跡 南門跡 建物跡
※この「備中国分寺跡」の解説は、「備中国分寺」の解説の一部です。
「備中国分寺跡」を含む「備中国分寺」の記事については、「備中国分寺」の概要を参照ください。
- 備中国分寺跡のページへのリンク