信濃国分寺跡
名称: | 信濃国分寺跡 |
ふりがな: | しなのこくぶんじあと |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 長野県 |
市区町村: | 上田市国分 |
管理団体: | 上田市(昭6・1・28) |
指定年月日: | 1930.11.19(昭和5.11.19) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 昭和43.03.19 |
解説文: | 國分小字仁王堂ノ地域ハ旧國分寺阯ノ中心ニ擬スヘキ地点ニシテ礎石三十八個ヲ存シソノ大部分ハ旧位置ヲ変セス又奈良朝時代ノ様式ヲ備ヘタル古瓦ヲ出ス S42-1-021[[信濃]しなの]国分寺跡(長野県上田市国分).txt: 信濃国分寺跡は、昭和5年11月19日礎石遺存の良好な中心部が史跡に指定されていたが、発掘調査の結果、金堂跡・講堂跡が明らかにされ、また、塔跡・廻廊跡等の存在、境内の旧規も推定されるに至った。さらに西方に接して、国分尼寺跡に擬定される遺構も検出された。これら発掘調査の結果に基づき北は現国分寺境内地をも含めて、指定地域を拡大した。 |
信濃国分寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 21:45 UTC 版)
国分寺(僧寺)跡は現国分寺の南方に位置する(北緯36度22分48.27秒 東経138度16分15.01秒 / 北緯36.3800750度 東経138.2708361度 / 36.3800750; 138.2708361 (信濃国分寺跡))。寺域は東西176.56メートル、南北178.05メートル(約100間四方)。金堂、講堂、中門、塔、回廊、僧房の跡が確認され、南大門の位置も推定されている。伽藍配置は中門、金堂、講堂を南北一直線に配置し、中門左右から出た回廊が講堂左右に取り付く東大寺式である。塔は回廊外の南東にあった。 中門 - 東西5間(約18メートル)、南北2間(6.6メートル) 金堂 - 東西7間(24.2メートル)、南北4間(14.4メートル) 講堂 - 東西9間(28.8メートル)、南北4間(14メートル)
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