八田藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 10:16 UTC 版)
八田藩(はったはん / はつたはん [注釈 1][注釈 2])は、江戸時代中期以降に伊勢国などで所領を有した加納氏の藩。伊勢国三重郡東阿倉川村(現在の三重県四日市市東阿倉川周辺)に陣屋を置いたため、東阿倉川藩(ひがしあくらがわはん[注釈 3])とも呼称される[1]。1726年、徳川吉宗の側近である加納久通が大名に取り立てられて成立した。歴代藩主は定府で、領地は伊勢国・上総国・下総国・上野国に分散していた。1826年に上総国一宮(現在の千葉県長生郡一宮町)に陣屋を設けており、これ以後は一般に一宮藩と見なされる。
注釈
- ^ 「八田藩」の呼称のもとになった「治田」については「はつた」とふりがなが振られている例がある[1]が、現地の小学校[2]や鉄道駅(伊勢治田駅)などは「はった」と読まれている。
- ^ 『国別 藩と城下町の事典』では「八田」に「やつた」とふりがなが振られているが、この藩の呼称がなぜ「八田藩」であり「やつた」と読むのかについての理由については示されていない[3]。
- ^ 日本郵政の郵便番号検索[4]によれば、四日市市東阿倉川は「ひがしあくらがわ」と読む。
- ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
- ^ 『角川日本地名大辞典』によれば、「八田藩」と呼ばれることが多いという[1][7]。
- ^ 『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「一宮藩」の項目で加納久通が大名になって以降を略述する[8]。『角川地名大辞典』には「八田藩」「一宮藩」それぞれが立項されているが、「八田藩」の項目では「本書では江戸期を通して八田藩の名称を用いた」として廃藩置県までの記載がある[1]。
- ^ 千葉県一宮町にあったこの藩の台場跡は1978年に「加納藩台場跡」として一宮町史跡に指定された[10]。2018年に「一宮藩台場跡」に史跡名称が変更されている[10]。なお、一般に「加納藩」は美濃国加納を居城とした藩の名として使われる。
- ^ 直恒は鈴木五郎兵衛の次男で[12]、母が久利の姉妹[14]。なお、久利の別の姉妹は於大の方(伝通院)に仕え、慶長7年(1602年)に伝通院が没すると家康に仕えている[14]。
- ^ 久利の長男で、別家を立てた[12]。
- ^ 『寛政重修諸家譜』では加納家の系譜を久利―久政―久通と描いており(幕府と直接関係しない、直恒による家督継承や久政の「分家」が記述されていない)、久通の代で加納家が「旗本に復帰した」と叙述されることもある[1]。
- ^ 大御所吉宗附きの若年寄[14]。
- ^ 久通は実子2人に先立たれた[14]。久堅は、久通の兄で紀州藩家老となった加納政信の子[15]。
- ^ 原出典は東京大学史料編纂所所蔵「加納家文書」中の延享3年10月11日付「領知目録」[28]。『角川日本地名大辞典』にも1万石時代の領地として同様の数値が示される[7]。
- ^ 「万古町」は昭和戦後期に大字「東阿倉川」から分離した町名である[30]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “八田藩(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “治田小学校”. いなべ市. 2022年11月21日閲覧。
- ^ 『国別 藩と城下町の事典』, p. 371.
- ^ “三重県四日市市”. 郵便番号検索. 日本郵政. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c 『三重県史 通史編 近世1』, p. 230.
- ^ 小葉田淳 1975, p. 202.
- ^ a b c d e f g “東阿倉川村(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “一宮藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2022年11月21日閲覧。
- ^ 川村優 1964, p. 616.
- ^ a b “一宮藩台場跡”. 文化遺産データベース. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第千四百七十一「加納」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第八輯』p.782。
- ^ a b c d e “コラム 紀伊藩士加納家について”. 和歌山県立博物館. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “加納直恒”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『寛政重修諸家譜』巻第千四百七十一「加納」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第八輯』p.783。
- ^ a b “コラム 大名になった加納久通”. 和歌山県立博物館. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “加納久通”. 朝日日本歴史人物事典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “加納久通”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c “麓村(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c d “新町村(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(371ページ)
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第千四百七十一「加納」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第八輯』p.784。
- ^ a b “加納久周”. 世界大百科事典 第2版. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “加納久周”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “加納久周”. 朝日日本歴史人物事典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “加納久慎”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “一宮藩(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “本郷村(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e 川村優 1964, p. 623.
- ^ 川村優 1964, p. 625.
- ^ “東阿倉川(近代)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “伊勢 東阿倉川陣屋(四日市市)”. タクジローの日本全国お城めぐり. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “飽良河御厨(中世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b “西阿倉川村(近世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ “治田御厨(中世)”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e “治田峠”. 角川地名大辞典. 2022年11月21日閲覧。
- ^ a b 稲垣勝義. “いなべの治田鉱山”. 雑誌プラス. 三重プラス. 2022年11月21日閲覧。
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