備中・信濃両三村氏の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 16:07 UTC 版)
備中三村氏・信濃三村氏の関係については不詳とする文献もある。特に備中三村氏が初期に本拠地としていた星田郷などが「三村荘」と呼ばれる荘園内に属したと考えられることから、備中三村氏の苗字発祥の地(本貫地)を「三村荘」と比定する説もあった。 しかし、両三村氏はともに(1)家紋(剣片喰・丸に三つ柏など)・(2)通字『親』(ちか)を長きに亘って共通としており、(3)備中三村氏の根拠地である備中星田郷周辺には「洗馬」に通ずる「洗場」の地名がある(地名遷移)。また(4)信濃三村氏子孫においても、苗字発祥の地を常陸国筑波郡三村郷と伝え、小笠原氏分流を称する家がある。(5)備中三村氏が西遷御家人子孫であると室町期の国人間でも認知されていた。 これらのことから、両三村氏は同流・同族と見て間違いないであろう。家親なども神社をわざわざ信濃より勧請しており、信濃に深い縁故を感じていた節がある。 なお、備中三村氏が古くから小笠原氏分流を名乗る一方、現に小笠原氏の臣下にあった信濃三村氏は源頼親子孫などとも称している。
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