紀深江とは? わかりやすく解説

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紀深江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 15:16 UTC 版)

 
紀 深江
時代 平安時代初期
生誕 延暦9年(790年
死没 承和7年10月5日840年11月2日
官位 従四位上伊予守
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀田上
兄弟 深江、野永、永直
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紀 深江(き の ふかえ)は、平安時代初期の貴族尾張守紀田上の子。官位従四位上伊予守

経歴

右京出身。若くから大学に入学して、史書をほぼ修学した。文章生から大学少允に任ぜられ、主税助式部少丞を歴任し[1]、この間の弘仁8年(817年)には蔵人に補せられている。嵯峨朝末の弘仁13年(822年正六位下から二階昇進して従五位下叙爵した。

淳和朝では左兵衛権佐・同佐・左近衛少将と武官を務め[1]、この間の天長5年(828年)従五位上、天長10年(833年正五位下に叙せられている。

仁明朝に入っても同年11月正五位上、翌承和元年(834年従四位下兵部大輔に叙任されるなど順調に昇進する。のち、伊予守として地方官に転じる。承和7年(840年国司の任期が満了して帰京すると統治を評価されて従四位上に昇叙されるが、後任への交替手続が完了しないまま同年10月5日卒去[1]享年51。最終官位は伊予守従四位上。

人物

心が広く温和な性格で物事に動じることがなく、常に百姓を安んじることに努め、人々に循吏(規則に忠実で仕事に熱心な役人)と称されたという[1]

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ a b c d 続日本後紀』承和7年10月5日条
  2. ^ 『系図纂要』『蔵人補任』

参考文献




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