システィーナ礼拝堂 歴史

システィーナ礼拝堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 13:06 UTC 版)

歴史

システィーナ礼拝堂はローマ教皇を選出するコンクラーヴェが開催される場所として広く知られている。しかしながら、教皇礼拝堂 (Cappella Pontificia) の一角を構成するシスティーナ礼拝堂は、1968年まで教皇宮殿 (Pontificalis Aula) と呼ばれていた教皇公邸 (Domus Pontificalis) としての性格も持っている。シクストゥス4世が在位していた15世紀後半の教皇礼拝堂には、聖職者、聖座職員、高位の平信徒らおよそ200人の人々が関わっており、年間50件におよぶ式典、行事を執り行うことが定められていた[5]。これらの行事で35件を占めるのがミサで、そのうち8件が通常サン・ピエトロ大聖堂で実施されており、多数の信徒が集まる一大式典だった。クリスマスやイースターのミサには教皇自ら典礼として参加していた。残り27件のミサは比較的小規模で大きな施設を必要としなかったこともあって、システィーナ礼拝堂が完成する以前にはマッジョーレ礼拝堂が使用されていた。

ローマ教皇シクストゥス4世

ヴァチカン宮殿にはマッジョーレ礼拝堂のほかにも、ローマ教皇と教皇庁職員が日々の祈りを捧げる場所として使用される礼拝堂があり、シクストゥス4世在位時にはニコラウス5世が建てた、フラ・アンジェリコが内部装飾を手がけた礼拝堂が使用されていた。マッジョーレ礼拝堂は少なくとも1368年までは存在していたことが記録として残っている。しかしながら、後年のトラブゾンのアンドレアスとシクストゥス4世とのやりとりには、当時のマッジョーレ礼拝堂は荒廃して壁は傾いており、新しい礼拝堂を建設するために取り壊す必要があることが記されている[6]

システィーナ礼拝堂はマッジョーレ礼拝堂の跡地に建てられている。シクストゥス4世の命でバッチオ・ポンテッリ (en:Baccio Pontelli) が設計し、ジョヴァンニ・デ・ドリッチの総指揮のもとで1473年から1481年にかけて建設された[1]。現在でもシスティーナ礼拝堂の外観はほぼ建設当時のままである。建物の完成後、盛期ルネサンスを代表する芸術家であるボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ミケランジェロらによるフレスコ画で内部装飾がなされた[6]

完成後のシスティーナ礼拝堂で最初のミサが執り行われたのは1483年8月9日である。このミサは聖母被昇天に捧げられたもので、システィーナ礼拝堂が聖母マリアに奉献されることを公表する式典でもあった[4]。現在でもシスティーナ礼拝堂はさまざまな式典や行事などに使用されており、ローマ教皇が外遊などで不在の場合を除いて、ローマ教皇庁の公式行事の重要な開催場所である。世界最古の聖歌隊の一つであるシスティーナ礼拝堂聖歌隊 (en:Sistine Chapel Choir) は、ルネサンス期に作曲された合唱曲を現在にそのまま伝えており、なかでもローマ楽派の作曲家グレゴリオ・アレグリの『ミゼレーレ』がとくに有名な楽曲となっている[7]

コンクラーヴェ

システィーナ礼拝堂が持つ最重要機能として、枢機卿団 (en:College of Cardinals) が次代のローマ教皇を選出する会議であるコンクラーヴェの開催場所となっていることがあげられる。コンクラーヴェ開催中にはシスティーナ礼拝堂の屋根に煙突が設置され、そこから排気される煙の色でコンクラーヴェの状況が告知される。投票によって新たなローマ教皇が選出された場合には、投票に使用された用紙が燃やされて白い煙があがる。投票の結果、候補者の最大得票数が全体の三分の二に満たない場合には、投票用紙とともに湿った藁と化学添加剤が燃やされて煙突から黒い煙があがり、次代のローマ教皇は未決定であるということを知らせる[8]

コンクラーヴェの期間中は枢機卿団は外出が許されず、ミサの出席、食事、就寝など日々の生活はすべて、特に選別された世話係の手を借りてコンクラーヴェ会場内で行わなければならなかった。1455年以降コンクラーヴェはヴァチカン宮殿内で実施されており、教皇が複数鼎立した教会大分裂まではドミニコ会教会堂のサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会がコンクラーヴェの開催場所となっていた[9]

ヨハネ・パウロ2世が1996年に発布した『使徒憲章』「使徒座空位とローマ教皇選出について」(en:Universi Dominici Gregis) で、コンクラーヴェ期間中の枢機卿の宿舎はコンクラーヴェ会場のシスティーナ礼拝堂ではなくドムス・サンクテ・マルテ(聖マルタの家 (en:Domus Sanctae Marthae))とするように変更されたが、ローマ教皇選出の投票自体は従前どおりシスティーナ礼拝堂で実施するよう定められている[10]


  1. ^ a b c d Ekelund, Hébert & Tollison 2006, p. 313
  2. ^ Vatican City”. Whc.unesco.org. 2011年8月9日閲覧。
  3. ^ Monfasani, John (1983), “A Description of the Sistine Chapel under Pope Sixtus IV”, Artibus et Historiae (IRSA s.c.) 4 (7): 9–18, doi:10.2307/1483178, ISSN 0391-9064, JSTOR 1483178, http://www.artibusethistoriae.org/?menu=art&gdzie=artibusChapterResult&id=68. 
  4. ^ a b Pietrangeli 1986, p. 28
  5. ^ Pietrangeli 1986, p. 24
  6. ^ a b c d John Shearman, "The Chapel of Sixtus IV". In Pietrangeli 1986
  7. ^ Stevens, Abel & Floy, James. "Allegri's Miserere". The National Magazine, Carlton & Phillip, 1854. 531.
  8. ^ Saunders, Fr. William P. "The Path to the Papacy". Arlington Catholic Herald, 17 March 2005. Retrieved on 2 June 2008.
  9. ^ Chambers, D. S. (1978), “Papal Conclaves and Prophetic Mystery in the Sistine Chapel”, Journal of the Warburg and Courtauld Institutes (The Warburg Institute) 41: 322–326, doi:10.2307/750878, JSTOR 750878, https://jstor.org/stable/750878. 
  10. ^ Domus Sanctae Marthae & The New Urns Used in the Election of the Pope from EWTN
  11. ^ Campbell, Ian (1981), “The New St Peter's: Basilica or Temple?”, Oxford Art Journal 4 (1): 3–8, doi:10.1093/oxartj/4.1.3, ISSN 0142-6540, http://seura.com/ab115361.pdf  検索された 2014-06-06
  12. ^ Hersey 1993, p. 180
  13. ^ Cheney, Iris. Review of "Raphael's Cartoons in the Collection of Her Majesty The Queen and the Tapestries for the Sistine Chapel" by John Shearman". The Art Bulletin, Volume 56, No. 4, December 1974. 607–609.
  14. ^ Talvacchia 2007, p. 150
  15. ^ Talvacchia 2007, p. 80
  16. ^ Hall, Marcia B. Rome: Artistic Centers of the Italian Renaissance. London: Cambridge University Press 18 April 2005. 138.
  17. ^ Talvacchia 2007, p. 152
  18. ^ Michelangelo – The Sistine Chapel Ceiling, "Seven Common Questions About the Frescoes", http://arthistory.about.com/od/famous_paintings/a/sischap_ceiling.htm 
  19. ^ Graham-Dixon 2008, p. 2
  20. ^ Graham-Dixon 2008, p. 1
  21. ^ Giacometti, Massimo (1986). The Sistine Chapel.
  22. ^ Graham-Dixon 2008, p. xii
  23. ^ 池上英洋 (2013年7月30日). 神のごときミケランジェロ. 新潮社 
  24. ^ Paoletti and Radke pp. 402 - 403
  25. ^ See en:Poor Man's Bible
  26. ^ 池上英洋『神のごときミケランジェロ』新潮社、2013年、69頁。ISBN 978-4-10-602247-0 
  27. ^ Stollhans, Cynthia (1988), “Michelangelo's Nude Saint Catherine of Alexandria”, Woman's Art Journal (Woman's Art, Inc.) 19 (1): 26–30, doi:10.2307/1358651, ISSN 02707993, JSTOR 1358651, https://jstor.org/stable/1358651. 
  28. ^ Vasari 1987, p. 379
  29. ^ Reported by Lodovico Domenichi in Historia di detti et fatti notabili di diversi Principi & huommi privati moderni (1556), p. 668
  30. ^ Simons, Marlise (19 June 1991), “Vatican Restorers Are Ready for 'Last Judgment”, New York Times, http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D0CE0D61E3EF93AA25755C0A967958260&sec=&spon=&pagewanted=all 2009年3月7日閲覧。 
  31. ^ a b Carlo Pietrangeli, Foreword to The Sistine Chapel, ed. Massimo Giacometti. (1986) Harmony Books, ISBN 0-517-56274-X
  32. ^ Homily preached by the Holy Father John Paul II at the mass of to celebrate the unveiling of the restorations of Michelangelo's frescoes in the Sistine Chapel”. Vatican Publishing House (1994年4月8日). 2007年9月28日閲覧。
  33. ^ a b Pietrangeli 1994
  34. ^ Beck (1995)
  35. ^ バチカン、システィーナ礼拝堂の入場制限を検討





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「システィーナ礼拝堂」の関連用語

システィーナ礼拝堂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



システィーナ礼拝堂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシスティーナ礼拝堂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS