ウェルズ・ファーゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:02 UTC 版)
サンフランシスコの本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | NYSE: WFC |
本社所在地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコモントゴメリー通り420 |
設立 | 1852年3月18日 |
業種 | 金融 |
法人番号 | 1700150000166 |
金融機関コード | 0608 |
SWIFTコード | WFBIUS6SXXX |
事業内容 |
銀行 金融サービス |
代表者 |
エリザベス・デューク(会長) ティモシー・J・スローン(CEO) |
売上高 | 883億8900万ドル(2017年) |
営業利益 | 273億7700万ドル(2017年) |
純利益 | 221億8300万ドル(2017年) |
純資産 | 19億5200万ドル(2017年) |
総資産 | 2069億3600万ドル(2017年) |
従業員数 | 262,700人(2017年) |
主要株主 | Berkshire Hathaway(8.95%)、Vanguard Group(7.60%)[1] |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
欧米の大手金融機関が投資銀行部門を収益の柱とし、巨額のデリバティブ残高を保有しているのに対し、ウェルズ・ファーゴはこれらの比率が他社に比べ低く、伝統的な商業銀行ビジネスを柱とする保守的な経営方針で知られた。投資会社バークシャー・ハサウェイはかつてポートフォリオの主力にウェルズ・ファーゴを据えていたが、後述の口座不正開設問題などを経て2021年現在は保有株をほとんど売却した[3]。
マーチャントバンカー時代
1850年、カリフォルニア・ゴールドラッシュをビジネスチャンスと見たヘンリー・ウェルズ(Henry Wells)とウィリアム・ファーゴ(William Fargo)が、アメリカン・エキスプレスを創設してアメリカ金融網の大陸横断に一役を演じた。1852年3月18日、二人はカリフォルニアで資本金30万ドルの合資会社としてウェルズ・ファーゴを創設したが、初代社長はエドウィン・モルガン(Edwin B. Morgan)だった。7月、サンフランシスコに最初の事務所を構えた。翌年に社長がダンフォード・バーニー(Danford(Danforth) N. Barney)へ変わった。カリフォルニアは当時、銀行業と宅配便がどちらもろくに規制されていなかった。ウェルズ・ファーゴはモルガンとバーニーの指揮で両分野の事務所をカリフォルニア中の要所につくりまくった。1855年の信用収縮を生き残り(1857年恐慌に発展)、カリフォルニアは文字通り無敵となった。南北戦争の間に輸送業者ベン・ホラデー(Ben Holladay)が台頭、1866年にウェルズ・ファーゴがベンの運送ルートを買収した。このとき商号にホラデーの名前が混ざり、バーニーが社長をやめてルイス・マクレーン(Louis McLane, 1819-1905)に代わった。大陸横断鉄道の活躍により、会社の業容は小さくなっていった。1869年にはセントラル・パシフィック鉄道から運送子会社を高い値段で売りつけられた。1870年にウィリアム(William Fargo)が社長となった。[4]
オフショア市場を求めて
1904年、ウェルズ・ファーゴの宅配業はニューヨークへ本部を移した。連邦レベルで証券業界に対する調査と規制が進んだ。1905年、ウェルズ・ファーゴは銀行業と宅配業を分離した。このときエドワード・ヘンリー・ハリマンがウェルズ・ファーゴをネバダ・ナショナル・バンクと合併させて支配権を握った。1906年サンフランシスコ地震がおこり、ウェルズ・ファーゴ・ネバダ・ナショナル・バンクも被害を受けが、復興のため預金は焼け太った。1907年恐慌のとき他行のように取り付けに遭い、やがて連邦準備制度ができた。1918年、第一次世界大戦に臨む連邦政府の命令で、国内の宅配業が他社の事業と一緒に国有化された(Railway Express Agency)。海外の宅配業は1960年代まで続いた。[4]
1924年、ウェルズ・ファーゴ・ネバダ・ナショナル・バンクは、ヘルマン(Isaias W. Hellman)が1893年に設立したユニオン・トラストと合併した。イサイアスは1905年の合併を目的にエドワード・ヘンリー・ハリマンと組んだ人物であった。新銀行は世界恐慌を生き残り繁栄した。国営事業と関係したウェルズ・ファーゴは、証券業についてゴールドマン・サックスのような追及は受けなかった。1943年にヘルマン3世が社長となった。1954年、新銀行がウェルズ・ファーゴ・バンクと名前を短くした。
1960年、アメリカン・トラスト・カンパニーとの合併を社長が計画し、2年後に実現した。そしてスケールメリットをいかすためにオフショア市場を開拓しだした。東京・シンガポール・ブエノスアイレスなどへ代理店を開設し、またソウル・香港・ナッソーへ支店を設けた。1967年、バンカメと競争するためにチャージカード(現マスターカード)のサービスをスタートした。1968年、業容拡大のため連邦からチャーターをもらい、カリフォルニア地域の4行を買収した。1969年に持株会社をつくり、アメリカン・エキスプレスの名前を銀行業に使う権利を買った。[4]
注釈
- ^ 2005年時点で、営業網は6,250店舗、顧客は2,300万人を数える。店舗は目下整理中であり、支店数が第二位のJPモルガン・チェースに近づきつつある。
出典
- ^ ウェルズ・ファーゴの主要株主
- ^ “世界の巨大銀行トップ28 —— 資産1兆ドル以上”. Business Insider Japan 2019年7月27日閲覧。
- ^ “米バークシャー、Wファーゴ株ほぼ全て売却 1989年から投資”. ロイター 2021年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g International Directory of Company Histories, Vol.189.
- ^ Irish Times, Ireland is world’s fourth-largest shadow banking hub, Wed, May 10, 2017
- ^ FSB, "Global Shadow Banking Monitoring Report 2016", p.48, 10 May 2017
- ^ CNN 米ウェルズ・ファーゴ、5300人懲戒解雇 不正口座開設で 2016/9/9
- ^ “米ウェルズF、銀行時価総額で世界一から転落 - JPモルガンが奪還”. ブルームバーグ (2016年9月14日). 2016年11月3日閲覧。
- ^ 米金融当局、米ウェルズに罰金1000億円 不正営業で 日本経済新聞 2018年4月21日
- ^ “International Locations and Contacts – Wells Fargo Commercial”. 2050年10月1日閲覧。
- ^ Glazer, Emily (2015年4月13日). “A Look at Wells Fargo's Overseas Expansion”
- ^ “Why US banking giant Wells Fargo is creating back-office jobs in India”. ファーストポスト. (2012年6月22日)
- ^ Pfeuti, Elizabeth (2010年11月23日). “Fund administration giant buys Cayman rival; Asset managers are returning to the offshore domicile after retreating in the aftermath of the Crisis”. Financial News
- ^ “Deadwood Stage (Whip Crack Away, Calamity Jane) Lyrics”. lyricsfreak.com. 2023年7月12日閲覧。
- 1 ウェルズ・ファーゴとは
- 2 ウェルズ・ファーゴの概要
- 3 バークレイズ支店買収まで
- 4 ポピュラー・カルチャー
固有名詞の分類
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