オフショア市場を求めて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:34 UTC 版)
「ウェルズ・ファーゴ」の記事における「オフショア市場を求めて」の解説
1904年、ウェルズ・ファーゴの宅配業はニューヨークへ本部を移した。連邦レベルで証券業界に対する調査と規制が進んだ。1905年、ウェルズ・ファーゴは銀行業と宅配業を分離した。このときエドワード・ヘンリー・ハリマンがウェルズ・ファーゴをネバダ・ナショナル・バンクと合併させて支配権を握った。1906年サンフランシスコ地震がおこり、ウェルズ・ファーゴ・ネバダ・ナショナル・バンクも被害を受けが、復興のため預金は焼け太った。1907年恐慌のとき他行のように取り付けに遭い、やがて連邦準備制度ができた。1918年、第一次世界大戦に臨む連邦政府の命令で、国内の宅配業が他社の事業と一緒に国有化された(Railway Express Agency)。海外の宅配業は1960年代まで続いた。 1924年、ウェルズ・ファーゴ・ネバダ・ナショナル・バンクは、ヘルマン(Isaias W. Hellman)が1893年に設立したユニオン・トラストと合併した。イサイアスは1905年の合併を目的にエドワード・ヘンリー・ハリマンと組んだ人物であった。新銀行は世界恐慌を生き残り繁栄した。国営事業と関係したウェルズ・ファーゴは、証券業についてゴールドマン・サックスのような追及は受けなかった。1943年にヘルマン3世が社長となった。1954年、新銀行がウェルズ・ファーゴ・バンクと名前を短くした。 1960年、アメリカン・トラスト・カンパニーとの合併を社長が計画し、2年後に実現した。そしてスケールメリットをいかすためにオフショア市場を開拓しだした。東京・シンガポール・ブエノスアイレスなどへ代理店を開設し、またソウル・香港・ナッソーへ支店を設けた。1967年、バンカメと競争するためにチャージカード(現マスターカード)のサービスをスタートした。1968年、業容拡大のため連邦からチャーターをもらい、カリフォルニア地域の4行を買収した。1969年に持株会社をつくり、アメリカン・エキスプレスの名前を銀行業に使う権利を買った。
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