Y委員会とは? わかりやすく解説

Y委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 16:35 UTC 版)

海上警備隊」の記事における「Y委員会」の解説

1951年昭和26年10月19日吉田首相連合国軍最高司令官SCAPマシュー・リッジウェイ大将会談において、フリゲートPF18隻、上陸支援艇LSSL50隻を貸与するとの提案正式になされ、吉田首相はこれをその場承諾した。翌20日岡崎勝男内閣官房長官より柳澤米吉海上保安庁長官および山本善雄元海少将対し、これらの艦艇受入れ運用体制確立に関して政府諮問答えるための委員会設立要請された。これを受けて10月31日組織されたのがY委員会である。 Y委員会は内閣直属秘密組織であり、第1回会合は、1951年昭和26年10月31日午後2時より、委員10全員出席のもと、霞が関海上保安庁臨時会議室で行われた。Y委員会はその後海上警備隊の発足前日にあたる1952年昭和27年4月25日まで、毎週金曜29回にわたる定例会開き日本海上防衛力再建のための計画策定あたった。 Y委員会は当初旧海軍軍人8名と海上保安官2名の計10名の委員により構成されていたが、人数比があまりに開いていたことから、第2回会合より、臨時委員として海上保安官1名が追加された。旧海軍軍人のうち、山本少将秋重少将永井大佐の3名以外は、いずれも第二復員局(旧海軍省)の部課長クラスであった旧海軍軍人山本善雄(主席委員; 海軍兵学校47期、元少将秋重実恵次席委員; 海軍機関学校28期、元少将初見五郎海軍経理学校8期、元大佐永井太郎海軍兵学校48期、元大佐長沢浩海軍兵学校49期、元大佐吉田英三海軍兵学校50期、元大佐森下陸一(海軍機関学校34期元中佐) 寺井義守(海軍兵学校54期元中佐) 海上保安官柳澤米吉海上保安庁長官山崎小五郎臨時委員; 海上保安庁次長三田一也警備救難監旧海軍側は、創設される新機構(海上保安予備ないしは海上警備隊)に関して次の四点などの基本見解述べた新機構の人員特別職とする。 新機構を海軍母体にする。 将来航空兵力が主要ポスト占める。 アメリカ海軍からの貸与艦艇は日本政府運用するものであり、アメリカ傭兵ではない。 これに対して海保側は「海上保安予備隊」について以下の設置要綱述べた予備隊の軍政部門は現海上保安庁組織利用すべきである予備隊総隊監部軍令系とする。 アメリカ海軍からの貸与艦艇を海保10ヶ所の警備地域配分する海保側はあくまで海保強化目指す内容であり、新海軍の分離目指す第二復員局側を牽制した。 海保側の方針に対して二復側は「海保案は軍令系のみで、二復側(旧海軍側)案は軍政・軍令の両案があるのが大きな相違である」と反発した。これに対して海保側は「沿岸警備増強為の新機構であるが、国民に対して軍の再建と言う不安を与えぬ考慮が必要である」「予備隊は実施部隊であるが、経理人事取り扱うので軍政部門もある。したがって二復側の要綱にある『実施部隊』という用語が不適当である」など、当時反軍感情言及して反論した。それに対して二復側は「海軍作ろうというのに文官長官ということはあり得ない」「管理するのは官制上長官であり、総務部などは幕僚機関あるべきだ」と反発した。ただし、二復側と海保側では新機構は「アメリカ海軍傭兵ではなく日本自主独立立場を貫く」事では一致した1952年昭和27年1月10日旧海軍側の山本グループが「新空海防衛力建設について所見」と題する報告書アメリカ極東海軍司令部提出。本報告書は5~6年かけてまとめた再軍備実行計画案(別冊第一)と、計画遂行を2~3年延長する事態になった場合修正案(別冊第二からなり、「今般海上保安庁から提案され船舶増勢要求案は単にCoast Guard強化を図るものであって航空並びに海上防衛力増強には極めて非能率なものと言わねばならぬ」とし、再軍備予算としてY機構に約56億円、新規計画280億円、合計336億円を計上する事を提案した。「新空海軍建設の概要」では、 1951年1952年会計年度アメリカから貸与され艦船60隻をY委員会勧告基づいて速やかに有事即応可能となるような戦力錬成を図る、この場合、Y機構要員計画を約8000人とし、機構編成等は同委員会報告とおりにする。 時機得たならば、Y機構海上保安庁から分離し新国自衛力の骨幹たるべき本格的空海軍創設する。この場合機構編成研究中であるが、おおむね野村提督および第二復員局から貴司令部提出した構想基盤とする。 前各号に伴う軍備計画は、飛行機1800機、艦船28トン要員10万人の空海軍兵力を8ヶ年整備する。としていた(「新空海防衛力建設について所見1月10日)。 1952年昭和27年2月4日合同委員会開かれ新機構のあり方についてはアメリカ極東海軍軍事顧問団裁定委ねることになり、オフチー参謀長は二復側の案を認めて「(新機構を)separate(分離)する案でなければいけない」と述べ新機構の名称も海保側が命名した海上保安予備隊」を却下して「ぜひともCoastal Safety Force」にせよとされ、15日には海上警備隊Maritime Security Force)に対す次長警備救難監指揮権及ばないことが委員会報告された。最終的に海上警備隊(Maritime Safety Security Force)として、いずれ新機構海保から離脱独立させることが決まった

※この「Y委員会」の解説は、「海上警備隊」の解説の一部です。
「Y委員会」を含む「海上警備隊」の記事については、「海上警備隊」の概要を参照ください。

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