海上警備隊の発足
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海上警備隊の創設は、1952年(昭和27年)2月20日、海上保安庁の改正案要綱として正式に発表された。同年4月26日、正式に海上警備隊が発足し、同日に海上警備隊総監部が霞が関の旧海軍省庁舎に設置されたが、ここでも二復(旧海軍)と海保の間で激しい人事抗争が起こり、とくに4月26日に海上保安庁次長であった山崎小五郎が海上警備隊総監に内定した際は、山本は日記に「今日は最も不愉快な日かもしれない、否、もっと不愉快な日が何日も来るだろう」と書き込んでいる。その後、水面下で課長級人事をめぐっても激しい人事抗争が起きている。 1952年(昭和27年)5月19日に山本は旧海軍の大将クラスで構成されていた「大将会」で海上警備隊創設に関する経緯の報告を行い、併せて山梨勝之進と野村により他の海軍大将12名に対して山本へのさらなる協力の要請が行われ、大将達から了承を得ていた。この会合には初代海上警備隊総監である山崎も出席して自身への「大将会」の支援を要請し、これに対して「大将会」は「一同心から」支援することを了承し、旧海軍と海保の間で一応の「手打ち」が成された。
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