NICAPとは? わかりやすく解説

NICAP

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:37 UTC 版)

UFO研究」の記事における「NICAP」の解説

1956年に「アメリカ空中現象調査委員会(NICAP)」という民間組織がタウンゼント・ブラウンにより設立された。翌年1957年には当時知られていた民間研究者であるドナルド・キーホー会長任命された。キーホーは機関誌UFO Investigator」を出版しこれまで未公表であった管制塔によるUFO目撃事例などを掲載し反響呼んだ。NICAPもAPRO同様、UFO目撃情報収集分析行ったが、APROとは違いUFOの「搭乗者」を含めた情報収集拒否した。これは当時センセーショナルに扱われていた「コンタクティー」の存在をキーホーが嫌ったためであったが、ソコロUFO事件が起こると、NICAPはこのスタンス再考する事となった。またNICAPはUFO情報収集活動留まらず広報活動など通してUFO問題に関して空軍圧力をかけることもあった。キーホーが指揮をしている間のNICPの影響力大きく他のUFO研究団体大きく凌ぐものであり、NICAPの圧力空軍にとって大きな懸案であり、当時議会の中でUFO問題大きく取り扱われたこともNICAPの影響によることが大きかった。 「ドナルド・キーホー」を参照

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NICAP(ナイキャップ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:02 UTC 版)

ドナルド・キーホー」の記事における「NICAP(ナイキャップ)」の解説

1956年10月24日、キーホーはアメリカ海軍物理学者トーマス・タウンゼント・ブラウンによる全米空中現象調査委員会National Investigations Committee on Aerial Phenomena :NICAP、読みはナイキャップ)の設立援助する(NICAPは後にアメリカ最大民間UFO研究団体となった)。NICAPは会の首脳部軍人科学者などプロフェッショナルな人材迎え、これによってNICAPは他のUFO愛好団体とは大きく異なった性質を持つようになった創設者であるブラウンは、不適切経理処理を繰り返したあげく、キーホーによって1957年初めに委員会放逐された。同年、キーホーが会長就任以降13年間に渡って会長職を務めた。 NICAPのメンバーは、1960年代初期から半ばまで、そのピーク時で約15,000人いたとされるマスメディアや一大衆からは論争指導的立場にあるとして注目されていたが、公的機関からはほとんど注目されていなかった。 財政的にNICAPの首根っこ押さえたキーホーは、組織をあげてUFO公的な調査審理議会に対して迫っていくことになる。彼らは連邦議会に対して、「空軍UFO情報独占している」「空軍UFO宇宙人宇宙船だと知っているのに、その事実を隠している」「アメリカ国民には真実を知る権利がある」「UFO目撃証言対す空軍処置が適切であった調査しろ」といった請願再三再四行った空軍は、報告ファイル中に機密情報含まれていることを理由にその公開拒み続けた1965年以降それまで民間UFO団体空軍の間でだけ戦わされていた論争に、各種報道機関連邦議会科学者たち加わり始めた世間でのUFO熱の高まりに対してアメリカ空軍は、空軍公的UFO調査計画プロジェクト・ブルーブック英語版)(Project Blue Book)」と平行して1966年10月コロラド大学物理学教授エドワード・U・コンドン委員長据えた調査委員会通称コンドン委員会)に学術調査委託する1969年コンドン委員会は、最終報告書未確認飛行物体科学的研究』をまとめ、「UFO地球外生命体乗り物であるという説には、なんの証拠認められない」という結論報告した。これを受けて空軍は、プロジェクト・ブルーブック閉鎖した。 だがキーホーはいわゆる「トリックメモ」を公表することで対抗した。これは、コンドン委員会メンバーによって書かれとされるメモで、表面上は客観的中立であるはずのコンドン委員会が、研究開始するより以前にこの報告書の内容決めてたとする暴露メモであった1969年、キーホーはUFO情報隠蔽先としてその活動焦点空軍からCIAに移す。しかし同年、ジョセフ・ブライアン三世大佐(Colonel Jospeph Bryan III)に率いられたNICAPは、キーホーに対してNICAPのチーフからの辞任要求する。実はブライアンは、かつてCIA心理作戦部の長官務めた経歴があり、CIAエージェントでもあった。ブライアンの下で、NICAPは1973年に完全に解散した1973年、キーホーは「オペレーション・ルアー(Operation Lure)」(地球外生命体地上に誘う計画)について書いた別のUFO本『未知なるUFO (Aliens From Space)』を刊行したこの後、キーホーはUFO研究からほぼ遠ざかった(ただしNICAPから追放された後も、いくつかのUFO会議において公演行っている)。 1981年、キーホーはMUFON(相互UFOネットワークMutual UFO Network)の取締役会加わった。しかし、健康上の理由もあり彼の活動はほぼ名義上だけのものであった

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