民間調査と政府調査の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:37 UTC 版)
「UFO研究」の記事における「民間調査と政府調査の対立」の解説
主に米国においては、1950年代初頭からUFOの目撃報告が増え続け、大衆の関心が高まってきた事から新聞や雑誌によるUFOをエイリアンクラフトとして紹介する記事が増加した。 トゥルー誌はドナルド・キーホー退役海兵隊少佐による「空飛ぶ円盤は実在する」という記事を掲載し注目を浴びた。トゥルー誌は続けてマクラフリン海軍中佐(Commander R. B. McLaughlin)による記事「科学者はどのようにフライングソーサー(UFO)を追跡したか」を掲載した。マクラフリンは米国公式の調査であるプロジェクト・グラッジを批判し、「時速25200マイルで飛行する銀色の物体を科学者が観測したこと」を発表した。キーホーとマクラフリンの記事は、全米誌で「地球外仮説」を指示し、公式の空軍の調査に反論した最初の事例であった。 1953年、キーホーは著作「Flying Saucers from Outer Space」を発刊した。この著作は反響を呼び、キーホーはUFO民間研究者として不動の地位を得たが、その直前にキーホーは空軍から著作を出版することに対しての圧力を受けており、その事をきっかけにキーホーは空軍の隠蔽工作説を唱え始めた。また空軍の方はキーホーの説を否定するプレスリリースを行い、陰謀論は泥沼に陥った。キーホーの著作に対して、空軍は「プロジェクトブルーブック特別報告第14号」を発表し、UFOが「今日の科学的知識外の進歩したテクノロジーを観測したものということは殆どあり得ない」と結論した。この報告に対して、キーホーを含む民間のUFO研究者は、この報告が「最も良質の事例を分析しておらず、空軍のファイルに『識別不能』としてリストされている多くの事例を避けている」と批判した。しかし特別報告14号は空軍のUFO問題に対する基本理念となった。こうした方針によるプロジェクト・ブルーブックの研究は後に空軍内部にいたアラン・ハイネックから批判された。(→#アラン・ハイネックによる見解) 空軍の説明と、民間研究者の説明によるイメージの差が大きくなり混乱を呼んだことから、1956年に「アメリカ空中現象調査委員会(英語版)」(→#NICAP)という民間の組織が設立された。1957年にはキーホーが会長に任命された。NICAPの創立に対抗するかのように、空軍はUFOプロジェクトを再編し「識別不能事例を最小限にとどめるよう」に研究の基準を定めた。1964年にNICAPは著書「UFO Evidence」を出版し、700件以上の目撃例の分析を発表した。同時期(1963年)に、民間研究者のドナルド・メンゼルも著作「The World of Flying Saucers」(フライング・ソーサーの世界)を出版し、UFOは気温逆転による自然現象であると説明した。メンゼルは地球外仮説と「フライングソーサー熱狂者」を激しく批判したが、アメリカ空軍はそうしたメンゼルの著作を「今までで最も重要な文献」と評価した。 また、マスコミは1957年以来、UFO現象については空軍の説明をそのまま受け入れてきた。しかし1965年に入り、テキサス州などでUFO目撃例が再び急増すると、元々の空軍の説明に納得のいかなかった人々により批判的な報道がされ始め、UFO問題の公開討論が各地で行われた。特にアリゾナ大学の上級気象物理学者ジェームズ・E・マクドナルド(英語版)はUFOの地球外仮説を強く支持していたが、膨大な調査資料と詳細なデータによる彼の言論は当時の言説に大きな影響力をもった。そして以前はUFO論争を無視していた科学者たちも論争に参加し始めた。そうした流れの中、1966年にヒルズデイル大学での目撃例が起き、空軍が「公式見解」を述べると、全米中のマスコミが空軍を批判する事態となった。
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