80%条項
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:40 UTC 版)
従業員の稼働率80%以下の者を賃上げ対象から除外するとし、年次有給休暇、生理休暇、慶弔休暇、産前・産後休業、育児時間、労働災害休業、ストライキ等による不就労を稼働率算定の不就労時間とする旨の労使協定(以下、80%条項)の効力が違法であるかどうかが裁判で争われた。これがいわゆる「日本シェーリング事件」であり、その判例が多くの労使協定に影響を及ぼしている。日本シェーリング賃金請求(上告)事件ともいう。 事件の概要 会社は、日本シエーリング労働組合との間に1976年から1979年まで毎年稼働率80%以下の者の賃金引き上げをしない旨を締結したが稼動率の算定の基礎となる不就労時間には、欠勤、遅刻、早退によるものの外、年次有給休暇によるものを含めていた。 原告ら24名は、賃上げ対象者から除外されてきたため、本件80%条項は、憲法、労働基準法、労働組合法に違反し、民法90条の公序良俗にも違反して無効であるとして賃金引上げが行われていれば支払われたはずの賃金、夏季、冬季一時金、退職金と実際に支払われた賃金等との差額、慰謝料および弁護士費用を支払うよう求めて、提訴した。 経緯 「日本シエーリング労働組合」(本社従業員により1970年結成)結成の翌年1971年以降、時限ストライキや指名ストライキが頻繁に行われるようになった。またコンピューターを扱う事務職(キーパンチャー)、包装職の女性社員の多くが頚肩腕症候群と診断されるという事態が起こり、1971年以降は本社の稼働率が年々低下し、1974年には80数パーセントとなった。 この間、会社は頚肩腕症候群が業務によるものであることを認め、労働災害申請を行ったが、年々低下する稼働率を危惧し、別の二つの組合(「全日本シエーリング労働組合」(営業所従業員により1970年結成)、「職場と生活を守る会」(日本シエーリング労働組合を脱退した従業員により1974年発足)と、賃上げの条件として「80%条項」を含む協定を1976年に締結した。 1977年、日本シエーリング労働組合は条項の撤廃を求めて大阪地方裁判所に提訴した。1981年に大阪地裁で判決が出された。大阪地裁は、80%条項の算定基礎の不就労時間に欠勤のほか年休、生休、産休、育児時間等を含めることは労働基準法、憲法等の規定ないしはその趣旨に反し、ひいては民法90条の公序良俗に反し無効と判断した。これを不服として会社側が控訴したが、大阪高等裁判所は1983年、訴えを棄却した。(会社はこの年、80%条項の運用を中止した) 最高裁判決 これに対し、会社側が上告し、1989年に最高裁判所で判決が出された。「主文:原判決中上告人敗訴部分を破棄する。前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す」。 最高裁判決は「80%条項自体は違法とは言えない」とし、大阪高裁に差し戻した。しかし、「産休や有給休暇など労基法に基づく権利まで不就労率に入れるのは、労働者の権利を抑制するもので、公序良俗に反する」との判断を示した。 和解交渉 最高裁の判決により、80%条項についての判断が確定されたが、その後、東京地方裁判所の和解勧告があり、1990年から労使双方で精力的に和解交渉が続けられ、1991年、過去の労使間の他の懸案事項とともに和解が成立、15年間にわたる会社と組合の紛争は終結した。
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