2010年-2012年:4、出産
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「ビヨンセ」の記事における「2010年-2012年:4、出産」の解説
ワールドツアー「アイ・アム...ワールド・ツアー」(I Am... World Tour) 敢行途中で発表された第52回グラミー賞で本年度最多10部門でのノミネーションを記録し、ローリン・ヒルと並ぶ、最多ノミネートのタイ記録となった。1月31日の授賞式でも、アルバム『アイ・アム...サーシャ・フィアース』(I Am... Sasha Fierce) が年間最優秀アルバム賞、シングル「ヘイロー」(Halo) は年間最優秀レコード賞、「シングル・レディース」(Single Ladies) が年間最優秀楽曲賞など、本年度最多6部門を受賞し、女性アーティストでは史上最多受賞となり、歴代でも獲得数3位タイという偉業を成し遂げた。なお、年間最優秀楽曲賞はビヨンセにとって初めての獲得だった。 また、ビヨンセがフィーチャリングアーティストとして参加したレディー・ガガのシングル「テレフォン」(Telephone) が1月にリリース。ビヨンセはプロモーションビデオにも出演した。「テレフォン」は3月15日、ビルボードのポップソングチャートにおいて1位を獲得した。これにより、フィーチャーされたビヨンセは6曲の全米1位シングルを持つことになった。 1月下旬、母の助言を聞き入れ、ブレイクを発表。おもな芸能活動を休止して約9か月の休暇をとった。この間にこれまでビヨンセの全マネージメントを務めていた父親・マシュー・ノウルズから独立することを決意する。父とビジネス上の袂を分かち、以後、夫・ジェイ・Zと二人三脚で全マネージメントをすることになった。これは、初めて身ごもった子を流産したことや、これまでビジネス一辺倒だけの関係であった父との関係を変え、私生活における家族としての「父と娘」の繋がりを保つため、父親から独立しなければいけないと考えたためだったとビヨンセはのちに述べている。 この父親との「ビジネス上での決別」は休暇中の3月、公に正式発表された。なお、2009年後半に父・マシューの不倫や隠し子が発覚し、母・ティナが離婚を申し入れ調停となっていた(のちに両親の離婚成立)。また、イギリス王室から要請されていた4月のウィリアム王子の結婚披露宴でのパフォーマンスも、夫・ジェイ・Zの甥の大学の卒業式に参加するためという理由で辞退した。 6月、4thアルバム『4』 (4) を発表。ビルボード・ホット200チャートで初登場1位となり、史上3人目となるデビューからアルバム4作連続首位を達成した。しかし先行シングル「ラン・ザ・ワールド」(Run the World (Girls) ) のセールスは思ったほど伸びず、「シングル・レディース」のような大ブームにならなかった。「ラン・ザ・ワールド」のミュージック・ビデオは、フランシス・ローレンスが監督し、モハーヴェ砂漠で200人を超えるダンサーが参加し3日間撮影され、それまでのビヨンセにとって最大規模の大作だった。起用された8人の振付師の中には、ビヨンセが「YouTube」でパフォーマンスを見初めて連絡を取ったモザンビークのダンス・チーム「Tofo Tofo」の二人がいたが、彼らはビヨンセの存在を知らなかったというエピソードがある。また、この頃からビヨンセのバック・ダンサーに双子のフランス人男性ダンサー「Les Twins」が参加しはじめた。 アルバム『4』からは他に「ベスト・シング・アイ・ネヴァー・ハド」(Best Thing I Never Had)、「パーティー」(Party)、「ラブ・オン・トップ」(Love on Top)、「カウントダウン」(Countdown) などのポップ・ナンバーが次々とシングルカットされてヒットした。なお、アルバムタイトルの『4』の由来についてビヨンセは、「4」という数字は、自身の誕生日(9月4日)、母の誕生日(1月4日)、夫の誕生日(12月4日)など、自分にとって特別な数字だからだとし、そのため結婚式も4月4日にしたとビルボード誌で語っている。 2011年8月中旬にニューヨークで4日行われたレジデンシー・ショウ「4 インティメイト・ナイツ・ウィズ・ビヨンセ」(4 Intimate Nights with Beyoncé) は、収容人数がわずか2,500人の「ローズランド・ボールルーム」(Roseland Ballroom) でのライブだったが、4公演約1万枚のチケットが22秒で完売する記録になった。 その約10日後の8月28日、MTVビデオ・ミュージック・アワードにおいて、「ラブ・オン・トップ」のパフォーマンス直後に衣装のブレザーのボタンを外してお腹を示し、妊娠していることを発表。世間を驚かせた。2012年1月7日に長女を出産し、子供は「ブルー・アイヴィー」(Blue Ivy) と名付けられた。2日後に夫ジェイ・Zが発表した楽曲「グローリー」(Glory) では、過去に流産した経験など子供を授かるまでの道のりが明かされている。『4』からのシングル「Love on Top」が2012年3から4月にかけてビルボード R&Bチャートで7週連続1位を獲得した。 2012年5月25日から28日、出産後初のライブ「レヴェル・プレエンツ:ビヨンセ・ライブ」(Revel Presents: Beyoncé Live) をアトランティックシティで開催。この年に死去したホイットニー・ヒューストンとドナ・サマーの楽曲を取り上げ追悼した。 マイケル・ジャクソンの3回忌には、自身のウェブサイトで、「ガールズ・タイム」(Girl's Tyme) 時代の最初のプロデューサーから勧められてジャクソン5の「フーズ・ラヴィン・ユー」(Who's Lovin' You) を何度も繰り返し聴くうちに、「時には、テクニックにとらわれることなく、気持ちの赴くまま歌えばいい」ということをマイケルの歌から教えられ、ソウル(魂)を学んだと追悼の言葉を述べた。
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