20世紀の初めから第二次世界大戦まで
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「ヴァインスベルク」の記事における「20世紀の初めから第二次世界大戦まで」の解説
20世紀の第1四半期には、主に駅の近くに設けられた2つの工業地域に、いくつかの工場ができた。製品としては、れんが、タバコ、家具などを生産した。1903年、町外れに新しく王立の医療施設(精神疾患患者の施設)が開設された。この病院は、現在、ヴァイセンホーフ病院と称し、ヴァインスベルク最大の雇用者となっている。1900年、近代的な水道施設が設けられ、1904年には市のガス施設が造られた。また、1912年からは、ヴァインスベルクに電力網が敷設された。 何度も試みては失敗した末に、ヴュルテンベルクの行政府は、1923年、改めてオーバーアムトの削減に乗り出した。しかし、この改革も失敗し、政府は辞職に追い込まれた。より広い議論の末、1926年にオーバーアムト・ヴァインスベルクが唯一の犠牲となることとなった。猛烈な抵抗の中、4月1日にこの改革令は発効され、オーバーアムト・ヴァインスベルクは解消され、所属していた市町村は周辺のオーバーアムトに分割編入された。ヴァインスベルク自身は、ハイルブロン郡に属すこととなった。かつてのオーバーアムト所在地はその地位を失い、ハイルブロンがこれを得たのである。 国や社会の国家社会主義への傾斜に、ヴァインスベルクも無関係ではあり得なかった。この都市は、1926年にオーバーアムトを失ったことで被った損失を、国家社会主義国家での新しい機能で補おうと試みた。1934年にヴァインスベルクを「ドイツ婦人貞節の都」と名付ける計画が進められた。しかし、この計画に関するヨーゼフ・ゲッベルスの努力は失敗した。それでもわずかに成功したのは1936年の市長ヴァインブレンナーが帝国女性総統ゲルトルート・ショルツ=クリンクに提出した、ヴァイバートロイ城趾にナチス女性団の教育機関を設立し、城を「ドイツ女性のヴァルハラとする」という提案である。「貞節な女房達」の事件から800年を迎える1940年に開催される大規模な記念式典の場で城は『ドイツ女性のヴァルハラ』の称号を授けられることとなり、その準備が1939年から始められた。しかし、1939年9月1日、戦争開始によりこの計画は撤回された。 軍はヴァインスベルクに定着した。1934年、ハイルブロンとヴァインスベルクの間に位置するヴァルトハイデの練兵場が拡大されることとなり、ヴァインスベルクに80haの土地の無償提供が求められた。結局市は、66haの土地を提供したのだが、それは無償ではなく、通常の売却の形を採った。1936年にこの売却益で市はゲミンゲンの町境付近の土地141haを購入し、この土地は70年以上を経た時点でもなお、ヴァインスベルクの土地となっている。また、同じ年に、市域南部のブリュールタールで練兵場用地に隣接する14haの私有地を押収した。こうして1937年にかつての市境地域にドイツ国防軍訓練場が造営された。戦時中の1940年から終戦の1945年3月まで、この施設は士官捕虜収容所(Oflag V A)として用いられた。1940年にはシュトゥットガルトからヴァインスベルクに至る帝国アウトバーンが完成した。その後数十年この町は、この道路の終点であった。 ドイツ全土の他の都市と同様、ヴァインスベルクでも精神障害者やユダヤ人に対する犯罪行為が行われた。T4作戦に従って、1940年には少なくとも422人がヴァインスベルクの精神病治療施設からグラーフェネック安楽死施設に送られ、殺された。後に、この精神病治療施設は、精神病患者を集め、殺害するためにハーダマー安楽死施設へ送り込むための、中間施設に指定された。1942年に、2人のユダヤ人がヴァインスベルクからテレージエンシュタット強制収容所に送られた。 第二次世界大戦中は、長い間比較的少ない被害で難を逃れ、1944年12月4日に激しい爆撃を受け甚大な被害を受けたハイルブロンからの避難民を受け容れてさえいた。このため、「地元の人間よりも避難民が多いほど、人口が増えすぎた」 のであった。ヴァインスベルク精神病治療施設は、破壊されたハイルブロンの病院施設の替わりに、救命処置をするための病院へとその機能を替えた。戦争末期の1945年4月12日にヴァインスベルクは砲撃を受け、これによって起こった火災で市内の大部分が焼失した。330軒の家屋が燃え、15人が亡くなった。市役所や市文書館(1525年と1707年にも焼失している)も焼失し、多くの重要な市の歴史資料が失われた。
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