1998 FIFAワールドカップ・オセアニア予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 03:39 UTC 版)
1998 FIFAワールドカップ・オセアニア予選は、オセアニア地区の1998 FIFAワールドカップ・予選である。オセアニアサッカー連盟(OFC)に加盟する10チームが参加した。なお、優勝したオーストラリア代表は、大陸間プレーオフに出場した。
方式
FIFAランキング上位4か国(オーストラリア・ニュージーランド・フィジー・タヒチ)は1次予選を免除された。
1次予選は残る6か国が地域別に「メラネシア地区」と「ポリネシア地区」に分かれ、それぞれ1順の総当たり戦を行った。
- 1次予選 メラネシア地区
- メラネシア・カップ1996年大会を兼ね、パプアニューギニア・ラエでの集中開催方式で3チームが対戦。1位のチームは2次予選に、2位のチームはプレーオフに進出。
- 1次予選 ポリネシア地区
- トンガ・ヌクアロファでのセントラル方式で3チームが対戦。1位のチームがプレーオフに進出。
- 1次予選 プレーオフ
- メラネシア地区からのプレーオフ進出チームと、ポリネシア地区からのプレーオフ進出チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦。勝者が2次予選に進出。
2次予選は、1次予選を突破した2チームと、1次予選を免除された4チームを3チームずつ2組に分け、2順の総当たり戦を実施。各組1位のチームが最終予選に進出。
最終予選は進出2チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦する。勝者がオセアニア代表となり、大陸間プレーオフに進出した。
1次予選
メラネシア地区
国名 | 勝点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
4 | 2 | 1 | 1 | 0 | 3 | 2 | 1 |
![]() |
2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0 |
![]() |
1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 3 | -1 |
パプアニューギニアが2次予選進出。ソロモン諸島はプレーオフへ。
ポリネシア地区
国名 | 勝点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 |
![]() |
3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 | 0 |
![]() |
0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | -3 |
トンガがプレーオフ進出。
プレーオフ
第1戦ホームチーム | 合計 得点 |
第2戦ホームチーム | 第1戦 結果 |
第2戦 結果 |
---|---|---|---|---|
![]() |
0-13 | ![]() |
0-4 | 0-9 |
ソロモン諸島が2次予選進出。
2次予選
グループ1
国名 | 勝点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
12 | 4 | 4 | 0 | 0 | 26 | 2 | 24 |
![]() |
4 | 4 | 1 | 1 | 2 | 7 | 21 | -14 |
![]() |
1 | 4 | 0 | 1 | 3 | 2 | 12 | -10 |
オーストラリアが最終予選進出。
グループ2
ホーム・アンド・アウェー方式で実施。
国名 | 勝点 | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
9 | 4 | 3 | 0 | 1 | 13 | 1 | 12 |
![]() |
6 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 7 | -3 |
![]() |
3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 11 | -9 |
ニュージーランドが最終予選進出。
最終予選
第1戦ホームチーム | 合計 得点 |
第2戦ホームチーム | 第1戦 結果 |
第2戦 結果 |
---|---|---|---|---|
![]() |
0-5 | ![]() |
0-3 | 0-2 |
オーストラリアがオセアニア代表となり、大陸間プレーオフに進出。
外部リンク
「1998 FIFAワールドカップ・オセアニア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 1998年6月23日にいなくなるまで彼女はオークランドに住んでいた
- 彼女は1998年までスペインに住んだ
- ベンチャー企業を対象とした第2店頭株市場は1995年に創設され、1998年に廃止された。
- その病気は最近では1998年に大流行した。
- 彼らは 1998 年の冬季オリンピック大会を長野に招致しようと決議した.
- このクレジットカードは 1998 年 3 月いっぱいまで有効です.
- 軍艦は1998年に使用を中止された
- エジプト、アルジェリア、パキスタン、バングラデシュで上部機構をアルカイダと他の武装組織に提供した1998年にウサマ・ビンラディンによって組織されたテロリストグループ
- (表面上セキュリティ理由のために)1998年に首都とされたカザフスタンの人里離れた都市
- 米国の政治家で、ロサンゼルス初の黒人市長に選出された(1917年−1998年)
- アメリカ人の心理学者(イングランド生まれ)で、多変量研究に基づいた人間行動の広い理論を展開した(1905年−1998年)
- 米国の生化学者で、白血病と痛風の治療薬を開発したことで知られる(1905年−1998年)
- 英国の生理学者で、アンドリュー・ハックスレーとともに、神経インパルスの伝達でのカリウムとナトリウム原子の役割を発見した(1914年−1998年)
- 日本の映画製作者で、日本の民間伝承と、西洋のスタイルの演出法を一体化させたことで知られる(1910年−1998年)
- 米国の俳優(1914年−1998年)
- 米国のテニス・プレーヤーで、1920年代と1930年代に女子テニスの中心であった(1905年−1998年)
- 米国の振り付け師で、クラシックバレエに人間らしい感情をもたらし、ブロードウェイ・ミュージカルを現実的に活気付けた(1918年−1998年)
- 宇宙飛行士で、1961年に初めて米国の準軌道飛行用ロケットで飛行をした(1923年−1998年)
- 米国の歌手で映画俳優(1915年−1998年)
- 米国の小児科医で、保育に関する多くの本が世界の周りの子供のしつけに影響を及ぼした(1903年−1998年)
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