1977年 - 1993年とは? わかりやすく解説

1977年-1993年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/27 03:29 UTC 版)

レインコーツ」の記事における「1977年-1993年」の解説

ダ・シルヴァバーチは、1977年初めにスリッツライブ演奏する姿を見てバンド作る刺激受けたバーチは『She Shreds』誌のインタビューで「突然、許可与えられたかのようでしたバンド参加できるなんて思ってもいませんでしたから。女の子バンドなんてやらなかったんです。でも、スリッツ演奏しているのを見たとき『これは私だ。これは私のものだ』と思ったんです」とコメントしている。1977年11月9日、ザ・タバーナクルにおけるバンド最初コンサートでは、バーチダ・シルヴァに、ロス・クライトン(ギター)、ニック・ターナー(ドラム)がラインナップされた。その後、ケイト・コラス(スリッツ、後にモ・デッツ)が短期的に参加したが、代わってジェレミー・フランクが参加した。ニック・ターナーがバラクーダスを結成するために脱退し、リチャード・ドゥダンスキー(元The 101'ers、後にパブリック・イメージ・リミテッド)がドラム収まり映画製作者のパトリック・ケイラーがギターフランク交代加入した1978年後半に、ザ・レインコーツは、スリッツの元ドラマーであったパルモリヴと、クラシックの教育受けているヴァイオリニストのヴィッキー・アスピナルが加わったことで、メンバー全員女性バンドとなった。このラインナップは、ロンドンのアクラム・ホールで1979年1月4日にライブ・デビューした。シャーリー・オラフリンがマネージメントするバンドは、ラフ・トレード・レコードから最初シングルFairytale in the Supermarket」をリリースした後、1979年5月スイス女性バンドであるKleenexとの最初イギリス・ツアー出たジョニー・ロットンバンド初期から彼女たち崇拝者であり、後にこう述べている。「ザ・レインコーツは、エックス・レイ・スペックスやパンクに関するすべての書物実現できなかったような、まったく異な方法その音楽提供したんだ。そこには彼女たち素晴らしくてオリジナルであること以外に理由はないね」。ザ・レインコーツ明らかに商業的なサウンドは、誰にとっても魅力的というものではなかった。バンドによる初期パフォーマンス目撃した後、ダニー・ベイカーは「ウェイタートレイを落とすたびに、私たち全員起き上がって踊るというくらいに悪いものだ」と述べた1979年11月21日ラフ・トレードバンドセルフタイトルデビュー・アルバムリリースした。これはプレスかかなりの称賛受けた。パルモリヴは、アルバムザ・レインコーツ』がリリースされる少し前の9月バンド脱退した。代わって、10代のイングリッド・ワイスがドラムとして参加したザ・レインコーツセカンド・アルバム『オディシェイプ』は1981年リリースされワイス加えて、ドゥダンスキー、ロバート・ワイアットソフト・マシーン)、チャールズ・ヘイワードディス・ヒート)によるドラム演奏の提供をフィーチャーした。ザ・レインコーツは『オディシェイプ』で、バロフォン、カリンバガムランなどの安価な中古楽器多様なセレクション採用しており、このアルバムには、イギリスフォークダブベース・ラインポリリズムによるパーカッションその他のワールドミュージック影響受けたフリー・ジャズ要素組み込まれている。その折衷的な音楽ジャンルミックスは「ロックにおける女性大きな失われた瞬間」の1つ説明されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「ロックンロール基本的なテーマは、男と女の間で起こっていることです……ロックンロール黒人音楽基づいてます。そして、それは女性排除と、黒人ゲットー化に基づいてます。だからこそ私たちやりたいこととロックンロール伝統の間に少し距離を置きたいのです」 —グリール・マーカスによるザ・レインコーツへのインタビューより 1982年12月ザ・レインコーツニューヨークにあるザ・キッチンアート・スペースライブ・アルバム録音した。『ザ・キッチン・テープス』は、1983年にROIRによってカセットリリースされた。 ザ・レインコーツ1984年に『ムーヴィング』をレコーディングした。常にツアー続け、「違った音楽方向引っ張る」ことにうんざりしていたバンドのメンバーたちは、アルバムのリリース直後からソロ・プロジェクト取り掛かっていた。バーチとアスピナルはドロシー (Dorothy)を結成しダ・シルヴァ振付師のギャビー・アギスと一連のダンス・プロジェクトで仕事し、ヘイワードとローズランド (Roseland)を結成した1992年ニルヴァーナカート・コバーンが、ロンドンのタルボット・ロードにあるラフ・トレード・ショップザ・レインコーツ新品の旧譜を探し訪れた。ジュード・クライトンが角を曲がったところにあるアンティーク・ショップで、彼のいとこであるダ・シルヴァ出会わせた。コバーンは、ニルヴァーナアルバムインセスティサイド』のライナーノーツでこの出会いについて熱心に書いている。1993年後半に、ラフ・トレードDGCレコードバンド3枚スタジオ・アルバム再発した際には、コバーンソニック・ユースキム・ゴードンによるライナーノーツ付けられた。 「ザ・レインコーツについては、自分大きな影響与えた音楽レコーディングしてくれたってこと以外は、本当に何も知らなかった。それを聴くたびに、自分がとても不幸で、孤独で、退屈だった(私たち言ってならない人生特定の時期思い出すんです。もしザ・レインコーツ最初レコード擦り切れたコピーを置く贅沢がなければ、私は平和な瞬間をほとんど持てなかったでしょうバンドについてその歴史を少し研究できたと思いますが、自分感じ方や彼らのサウンドはっきりさせることが重要だ思ってます。ザ・レインコーツ屋根裏部屋隠れて聴いていると、まるで暗闇の中の暴力のように感じます。それらを聴くではなく聴いている自分感じるんです。私たち一緒に同じ古い家にいるのですが、私は完全に静止してなければなりません。そうしないと、彼らに私が上からスパイしているのが聞こえてしまいます。私が捕まると――それは彼らのものだから、すべてが台無しになってしまうでしょう」 —コバーンによる『ザ・レインコーツ』のライナーノーツより 「私はその大胆さ実際にコマーシャルな歌を持っているという理由スリッツ愛していましたが、私が最も好きだったのはザ・レインコーツでした。彼らは並外れた音楽演奏する普通の人々のように見えました。傷つけられやすくありながら男性によるロックパンク・ロック侵略という覆い……または、皮肉かセンセーショナリズムまとったセックスシンボルとして典型的な女性を、引き受け必要なく、自分たち自身であるために十分な自信持っていました」 —ゴードンによる『オディシェイプ』のライナーノーツより その後コバーンザ・レインコーツデビュー・アルバムを、50お気に入りアルバム20位にリストアップした。

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