1974年のテレビドラマ
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「日本沈没」の記事における「1974年のテレビドラマ」の解説
1974年10月6日から1975年3月30日まで、TBS系列(一部地域を除く)・日曜20:00で全26回にわたって放送された(1975年12月31日には、総集編が放送されている)。おりしも、これに先駆けた19:30-20:00には同じく小松左京(他2名)が原作を務めた特撮サスペンスドラマ『SFドラマ 猿の軍団』が放送されており、90分間・2本連続で小松左京作品が放送された時代でもあった。 総製作費は前年の映画版同様の5億円、テレビドラマ史上空前となる巨額費用が投じられた。 小松左京と東宝との「映画化の後TBSでテレビドラマ化する」との契約に従い、映画版(1973年版)と同時進行で撮影された。このテレビ版スタッフの撮ったカットには、映画版に使用されたものもあるという。『空の大怪獣ラドン』や『妖星ゴラス』など過去の東宝特撮映画のシーンが映画版の特撮カット以外も流用されている。逆に映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)は、名古屋城の破壊シーンに、本作品第4話の姫路城倒壊シーンを流用している。 特撮(映画からの流用カットのみに頼ることなく、随所において意欲的な画面を作りあげた)だけではなく、ドラマ部分にも多額の予算が費やされ「キャスティング費用だけで1億円」といわれた。田所博士役の小林桂樹以外は映画版と配役が異なるが、下記の主要キャスト以外にも浜美枝、土屋嘉男、藤木悠ら東宝特撮作品でおなじみの面々をはじめ、豪華な顔ぶれがゲスト出演し、各回の物語を彩った。第14話「明日の愛」には、同名の主題歌を歌った五木ひろしも、玲子の機知で田所にあるデータを提供した航海士・桂省吾役で出演している。1975年3月9日に放送された第23話「海に消えた鎌倉」には、松川首相の緊急記者会見を放送するテレビ画面に見入る一般国民として特技監督の川北紘一と俳優の大葉健二がカメオ出演している。 小説では中盤に大地震の発生によって大ダメージを受ける東京が最後の方まで無傷だったり、幸長助教授(細川俊之)が海外で調査中として途中から出てこなくなり(演者の降板による)、代わりに野末技官(佐原健二)が田所博士の研究を補佐したり、小野寺の婚約者が第1回冒頭で地震に巻き込まれて死亡したり、小野寺の上司の吉村が会社の利益のために小野寺を利用し、玲子との仲を裂こうと暗躍したり、田所博士に20年ぶりにそうとは知らずに再会したマリアという娘がいたりといったドラマ版独自の設定・展開がある。結末も、映画版では存在感を放っていた渡老人があまり登場せず、中田秘書官の台詞でその死が伝えられ、田所博士は、原作と異なり、生き残り、小野寺と玲子も、小説や映画と大幅に違って、逃避の成否を描かずに幕を閉じる(後に放送された総集編のナレーションでは、2人が助かってオーストラリアに脱出したとされている)。 本放送当時、関西でのネット局は朝日放送(ABC)だったが、後のTBS系列からNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列へのネットチェンジの準備も重なっていた。奇しくも最終回が放送された3月30日は、ABCにおけるTBS系列として最後の放送日でもあった。 後に関西での再放送は、1987年秋から火曜深夜枠にて現在の系列局である毎日放送(MBS)にて流れた。 1995年に福岡県で深夜番組(早朝番組)として再放送されていたが、同年1月17日に第2話の放送が終わった直後、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起こったため、3話目からの放送は打ち切られた。 さらに、2016年はCS放送の日本映画専門チャンネルで放送されていたが、熊本地震発生の翌日である同年4月15日午前中に放送された第7話をもって事実上の打ち切りとなっている。
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