1974年のダバデア飢饉の被害を受けた人々の再定住
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「ジュバランド」の記事における「1974年のダバデア飢饉の被害を受けた人々の再定住」の解説
1969年にクーデターで政権を取った第3代大統領モハメド・シアド・バーレは、1974年にソマリア北部やソマリア西部を襲った大飢饉の被害を受けた人のために再定住計画を策定した。このプログラムにより農村コミュニティが下部ジュバと中部ジュバに生まれた。この再定住プログラムはダンワダアガハや「コレクティブ・ドューティ」として知られる。農村コミュニティは北のイサック氏族やダルバハンテ氏族が主な構成員を占めた。 ソビエト連邦はソマリアと戦略的な関係を持っていたため、ソマリア空軍とともに飢饉の被害を受けたホビョ族やカイナダ族などを下部ジャバ地域にある政府の難民キャンプに運んだ。飢饉難民は当初モガディッシュから遠くない北東にあるジャウハーに運ばれた。人々はジャウハーからはモガディッシュ・キスマヨ回廊を軍用トラックで運ばれた。道路は荷物や家畜などを抱える人を運ぶ軍用トラックがあふれかえったため、移動には丸1日かかった。ダジューマ、サブラーレ、クンツワーレイの3カ所の再定住地域に加えダジューマ近くのホログレが4つめの定住地となる。 ホログレは川に流れ込む湖の名である。ダジューマは中部ジュバ地域にある。1970年代の再定住プログラムによって定住先で自分や家族の生活を確立したが、以前の居住先に戻っている。
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