1974年の事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:32 UTC 版)
1974年、自らのチームである「クロサワ・エンタープライズ」を設立、チームオーナー兼ドライバーとしてレースに出場した。 同年6月2日、富士グランチャンピオンレースの2ヒート目(1ヒート、2ヒートと、2回のレースを行った)で大事故(多重クラッシュによって4台のマシンが炎上、鈴木誠一・風戸裕のドライバー2人が死亡)が発生。黒澤は事故の発端である接触事故を引き起こしたとして、批判を受けた。これを受けた黒澤は競技ライセンスを返上し、一時は現役を去った。刑事事件としても捜査対象になり、業務上過失致死傷の疑いで書類送検されたが後に不起訴となった。なおこの事故で書類送検されたのは黒澤ひとりだけである。 日本自動車連盟(JAF)は同年10月に開かれたスポーツ委員会において5年間の資格停止処分を発表したが、中央審議委員会において再度審議がなされて出場停止期間が1年2ヶ月に短縮された。
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