1952年のラジオ (日本)とは? わかりやすく解説

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1952年のラジオ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 07:24 UTC 版)

1952年のラジオ (日本)では、1952年日本ラジオ番組、その他ラジオ界の動向について記す。

主な番組関連の出来事

1月
2月
3月
4月
  • 1日
    • NHKラジオ第1、北村寿夫作のドラマ『白鳥の騎士 - 新諸国物語から』放送開始( - 12月31日)[1]
    • NHKラジオ第2、『NHK教養大学』放送開始[1]
    • ラジオ東京、23時から日本初の深夜放送とされる占領軍[注 1]将兵及びその家族のための英語番組『イングリッシュ・アワー』放送開始[8][9]
  • 2日 - 日本文化放送協会で、日本ビクター(現:JVCケンウッドが自らスポンサーになり、自社の洋楽レコードを紹介する番組『S盤アワー』が放送開始。中部日本放送、新日本放送、信濃放送(後の信越放送)神戸放送(後のラジオ関西)にもネット開始[10][11]
  • 5日 - ラジオ東京、旭化成工業(後の旭化成)の1社提供番組で、クイズ形式の教養番組番組ぴよぴよ大学』放送開始。1956年4月13日からは同テレビ(後のTBSテレビ)との同時放送となった( - 1960年5月1日、全402回)[1][12]
  • 6日
    • NHKが番組改定。夜間、ラジオ第2放送に娯楽番組の時間帯を毎日新設し、音楽・浪花節などを自由に編成した[1]
    • ラジオ東京、『素人うた合戦』を、NHKラジオ第1『のど自慢素人演芸会』と同時間帯で放送開始[1]
  • 9日 - もく星号墜落事故発生。NHK、ラジオ東京で臨時ニュース等を入れる[1]
    • NHKでは、19時のニュースで「安否依然不明、憂慮の色濃い」と報道。20時10分の臨時ニュースで「全員絶望」を伝える[1]
    • ラジオ東京では、12時38分、臨時ニュースで「行方不明」の第1報。 17時のニュースで「全員救助」を、19時のニュースでは家族の喜びの声を録音放送。21時のニュースで「もく星号遭難か」に切り替える[1]
  • 10日 - NHKラジオ第1、連続放送劇『君の名は』放送開始( - 1954年4月8日、全98回。作・演出:菊田一夫、音楽:古関裕而、出演:阿里道子北沢彪 ほか)[1]。最初の半年間は人々の戦争体験を主題にシリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった[13]。当初は、東京・佐渡志摩半島に住む家族を並行する社会派ラジオドラマを目指していたが、主人公の真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始めると、初めて人気番組となり[13]、それからは番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消えるといわれるほどであったという[14]
  • 16日 - NHKラジオ第1、『教師の時間』で、標準楽音放送開始(週1回)[1]
  • 28日 - NHKラジオ第1、サンフランシスコ講和条約発効式を、米の国際放送 ボイス・オブ・アメリカ(アメリカの声(VOA)) から中継[1]
    • この発効により、日本の主権が復活したのを受け、この日からラジオ第1・第2の放送終了時に「君が代」放送開始[1]
5月
  • 1日 - 新日本放送、米から来日中のジーン・クルーパ・ジャズ・トリオの梅田劇場での公演を独占中継[4]
  • 17日 - 朝日放送、初の日米交換番組で、ハワイKGU局とのウィークリー交換番組『ハワイアン・スター』放送開始[1]
  • 19日 - ラジオ東京・新日本放送共同、後楽園特設スタジアムから、プロボクシング 世界フライ級タイトルマッチ「白井義男ダド・マリノ」を、全国9局へ中継[1][4]
  • 25日
    • 日本文化放送協会・新日本放送・ラジオ九州(後のRKBラジオ)の3社共同、民放初の共同企画制作番組として、『アンジェラスの鐘』放送開始[1][4]
    • 朝日放送、競馬の初中継放送を行う。「第19回日本ダービー」を、東京競馬場から中継[6]
6月
  • 15日 - NHKが番組改定。青少年向け教養番組・報道番組・ローカル放送を拡充し、自由編成の時間で週1回の教養特集番組を新設、土曜日夜にスペシャルイベントの長時間番組を随時放送[1]
    • ラジオ第1
      • 『ニュース』枠を21時に新設[1]
      • 日曜娯楽版』の番組名を『ユーモア劇場』に改める( - 1954年6月13日)[1]
  • 16日 - NHKラジオ第1・第2、『体操』の時間にて、この日から『ラジオ体操第2』の放送を開始[1]
7月
8月
9月
  • 1日 - 朝日放送、音楽番組『ABCホームソング』放送開始。1972年9月24日に終了するまで、20年間にも渡る長寿番組となった[16]
10月
11月
  • 17日 - NHKラジオ第1、この日から今までの『農家のいこい』を『ひるのいこい』に番組名を改称[17]以後この番組名で、毎週日曜を除く正午のニュースの後番組として定着、半世紀以上も現役の長寿番組となる(2025年7月現在も継続中)。
12月
  • 20日 - NHKが東京ローカル番組『土曜コンサート』にて、ラジオ第1(左チャンネル)と第2(右チャンネル)のモノラル2波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼んでいた)を行う[1][18]
  • 31日 - ラジオ東京、『ゆく年くる年』の前身となる番組『新年の鼓動』を放送[19]

主なその他ラジオ関連の出来事

  • 1月19日 - 日本民間放送連盟(民放連)、初めて5000本の録音用テープを輸入[1]
  • 1月21~27日 - 新日本放送・朝日放送・大阪電通の3社が、共同聴取率調査を実施[1][4]
  • 1月30日 - 新日本放送(NJB)・朝日放送の両社、民放初の初の海外取材として、硫黄島(当時米領)の遺骨収集調査団の日帰り取材のため特派員を派遣。NJBからは1名、ABCからは2名が参加[1][4][6]
  • 2月5日 - 地方民間放送共同制作協議会(火曜会)が発足[1]
  • 2月10日 - NHKの海外向けラジオ「ラジオ日本(後のNHKワールド・ラジオ日本)」の放送終了時に「君が代」の演奏を開始[1][20]
  • 2月11日 - ラジオ東京の「衣部隊生存者」の氏名発表を復員局留守業務部が否定し問題化、ニュースの責任所在をめぐって論争となる[1]
  • 2月22日 - 民放連、文部省著作権審議会が認可申請した音楽著作権使用料規定(各放送局の送信出力別に最高最低額を決める)の承認を決定[1]
  • 2月28日 - 民放連、日本体育協会(後の日本スポーツ協会)に申請していた、民放によるアマチュアスポーツ実況放送が了承される[1]
  • 3月15日 - 民放9社、民放連の斡旋により、国会や首相官邸等を担当する「国会民放記者クラブ」を結成[1]
  • 4月20日 - NHKが室蘭でラジオ第2放送を開始。
  • 12月5日~7日 - NHKが放送終了後の深夜、日本で初めてのモノラル音声2波を使ったステレオ放送の実験を、ラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルにして行う[1][18]
  • 12月24日 - ラジオ東京、「ラジオ東京の歌」(作詞:岡部淳 作曲:米山正夫)を発表[19][21]

開局

商号変更

  • 4月30日 - 信濃放送→信越放送[22]
  • 11月1日 - 北陸文化放送→北陸放送

節目

番組周年・記念回

開局周年

特別番組

開始番組

1952年1月放送開始

NHKラジオ第1放送

  • 5日 - エンタツちょびひげ漫遊記
  • 7日

NHKラジオ第2放送

朝日放送

1952年3月放送開始

日本文化放送協会

新日本放送

1952年4月放送開始

NHKラジオ第1放送

NHKラジオ第2放送

ラジオ東京

日本文化放送協会

1952年5月放送開始

仙台放送

朝日放送

  • 17日 - ハワイアン・スター

新日本放送

  • 25日 - アンジェラスの鐘

1952年6月放送開始

NHKラジオ第1放送

  • 15日 - ユーモア劇場

NHKラジオ第2放送

1952年7月放送開始

四国放送

  • 4日 - 希望メロディー

1952年9月放送開始

朝日放送

新日本放送

1952年11月放送開始

NHKラジオ第1放送

NHKラジオ第2放送

  • 17日 - ラジオ受信機講座[30]

1952年12月放送開始

ラジオ東京

  • 開始日不明 - 名作アルバム

終了番組

番組名改題

脚注

注釈

  1. ^ 日本国との平和条約が締結され占領が解除されたのは月末の28日なので、この時点ではまだ「在日米軍」ではない。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb 「放送史年表 -詳細版- 1952年」(NHK放送文化研究所)(2025年7月21日閲覧)
  2. ^ a b c 「放送史年表 -詳細版- 1951年」(NHK放送文化研究所)(2025年7月26日閲覧)
  3. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、323頁。 
  4. ^ a b c d e f 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、471頁。 
  5. ^ 毎日放送 編『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日、68頁。NDLJP:2496354/94 
  6. ^ a b c d e 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、270頁。 
  7. ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'53』日本放送出版協会、1952年12月1日、425頁。NDLJP:2474349/284 
  8. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、172, 195, 323頁。 
  9. ^ 放送90年シンポジウム「ラジオは未来の夢を見る」”. 日本放送協会. 2019年9月10日閲覧。
  10. ^ a b 文化放送 お知らせ 2023年3月14日付 「70年前に文化放送の苦境を救った伝説番組『S盤アワー解体新書』(2023年)3月28日(火)午後5時45分から放送」 文化放送公式サイト(2024年2月22日閲覧)
  11. ^ a b 日本ビクター株式会社50年史編集委員会 編『日本ビクター50年史』日本ビクター、1978年8月、289頁。NDLJP:11954088/154 
  12. ^ a b 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、446~8頁。NDLJP:2508112/456,NDLJP:2508112/457,NDLJP:2508112/458 
  13. ^ a b 小幡欣治『評伝 菊田一夫』(岩波書店)P.175
  14. ^ 『NHK年鑑 1955〔年版〕』日本放送出版協会、1954年、124頁。 
  15. ^ 毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、472頁。 
  16. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、64,270頁。 
  17. ^ a b 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'54』日本放送出版協会、1954年、62頁。NDLJP:2525969/104 
  18. ^ a b 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'54』日本放送出版協会、1954年、191頁。NDLJP:2525969/168 
  19. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、324頁。 
  20. ^ a b c d e f g h i j k 『放送五十年史 資料編』, pp. 720.
  21. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、65頁。 
  22. ^ a b 信越放送の歩み(SBC信越放送ホームページ)(2025年7月21日閲覧)
  23. ^ 会社概要 沿革(tbc東北放送)(2025年7月21日閲覧)
  24. ^ 株式会社中国放送『RCC20年のあゆみ』株式会社中国放送、1972年、17, 66頁。NDLJP:12239213/17,NDLJP:12239213/66 
  25. ^ 株式会社 静岡新聞・静岡放送 株式会社 社史(静岡新聞 SBS公式ホームページ)(2025年7月21日閲覧)
  26. ^ 静岡放送『静岡放送20年史』静岡放送、1973年2月8日、270頁。NDLJP:12274613/142 
  27. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、562頁。 
  28. ^ a b 毎日放送 編『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日、69頁。NDLJP:2496354/95 
  29. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、64頁。 
  30. ^ a b c d e f 『放送五十年史 資料編』, pp. 722.


参考文献


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