陽の沈まぬ帝国 1598年まで
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「スペイン黄金時代美術」の記事における「陽の沈まぬ帝国 1598年まで」の解説
ハプスブルク家出身のフェリペ1世の短期間の統治の後、1516年に即位し空前の大帝国を統治したカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)と、それを受け継ぎ1598年まで即位したフェリペ2世の時代を扱う。新大陸の資源による莫大な収益と、組織された官僚制や常備軍を備えた中央集権国家が完成され絶頂期を迎えたが、相次ぐ海外遠征や宗教戦争に関与した時代である。 16世紀前半はスペインにマニエリスムの様式が導入された時期である。主な画家としてペドロの息子アロンソ・ベルゲーテとペドロ・マチューカが挙げられる。ベルゲーテは父親の没後イタリアに渡り、各地で絵の修業をしたのみならずミケランジェロから彫刻を学んだ。1518年に戻り当時のイタリアで起きていたマニエリスム様式をスペインに導入した。同時代の最も優れた画家として評価され、スペインで自立的な活動ができた最初の画家といわれる。経済的にも裕福だったと伝わり、最高の名誉である宮廷画家にもなった。しかしカルロス1世とも面会しグラナダの宮殿や教会装飾を担当する予定であったが実現せず、愛想をつかした彼は1526年以降は絵よりも宗教的な法悦を表した彫刻での表現に軸を移していく。実際カルロス1世はスペイン王であったものの相次ぐ遠征でスペインの宮廷にはほとんどいなかったため、宮廷画家との綿密な打ち合わせは困難だったと考えられる。 ペドロ・マチューカもベルゲーテ同様に長くローマで学び、ほぼ同時期にスペインに戻ってきた。ヴァチカンでラファエロの工房の一員として働いていたとされ、彼の作品にもラファエロ風の聖母子像がある。ただしスペインに戻ると同僚のベルゲーテの影響かマニエリスム的な表現へと移行する。また彼は建築家としても活躍し、アルハンブラ宮殿にイタリアルネサンス様式の宮殿を設計するなど、多方面に才能を発揮した。 この時代はその強大な経済力と権力から、ハプスブルク家勢力下の地域から名画を多数収集し、王室のコレクションが形成されていった。裕福な貴族たちもフランドル派の絵(当時フランドル地域もスペイン領)やヴェネツィア派の絵を購入するようになる。また、カルロス1世は1548年ドイツのアウクスブルク滞在中にティツィアーノに『騎乗像』を描かせている。ティツィアーノを気に入ったカルロス1世は彼に年金を与え特別にもてなし、フェリペ2世は彼をマドリードに住まわせている。それ故にティツィアーノの絵画は宮廷画家を驚かし、貴人の審美眼を高めた。彼の後期の作品が持つ色彩表現やタッチは後世のスペイン画家たちに計り知れない影響を与えたのだった。 16世紀後半フェリペ2世の時代になると、版画技術の向上や交易の進展でイタリアの版画の影響がよく見られるようになる。マルカントニオ・ライモンディのラファエロの作品を写した版画がスペインに広く流通した。これまではフランドルなど北方的な要素が強かったスペイン絵画もイタリア志向が強まり決定的になった時代である。それを「Secondhand Renaissance」と形容する学者もいる。図像も技法もイタリア絵画に準拠する傾向が強まり、独創的な表現は現れなかった。この時代周辺の代表的な画家にフアン・コレーア、フアン・ソレダ、ヴィンセント・マシップ、フアン・デ・フアネスら、フランドル出身のペドロ・カンパーニャがいる。 1561年マドリードに首都が遷り、フェリペ2世自身は郊外のエル・エスコリアルに住んだため新たな宮殿や教会が多数建てられた。そのため画家の需要は激増した。この活気に満ちた時代で特筆するべき人物としてはルイス・デ・モラレスがいる。「聖なるモラレス」と形容される彼は1545年のトレント公会議といった対抗宗教改革の意識を持ち、深くカトリックに帰依しある種の神秘体験を経験している。そのため彼の絵は宗教画しかない。ただ聖母子の優しい表現や、生々しいピエタの表現などその絵画技術は卓越しており注目される。ポルトガル系の家柄に生まれたアロンソ・サンチェス・コエーリョはティツィアーノの作風を学び、肖像画家として絶大な名声を保持した。彼はまた宮廷画家としてエスコリアルの内部装飾を担当し、多くの宗教画を描いている。エスコリアル宮の装飾はこの時代の最大の仕事であり、コエーリョ以外にも耳と発声の障がいを患ったフアン・フェルナンデス・デ・ナヴァレッテが活躍し、帝国の威容を誇示した。ただエスコリアル宮も外国の、主にイタリア系の画家が多数加わっており代表的な人物としてはフェデリコ・ズッカリとその後継者のペッレグリーノ・ティバルディがいる。カトリックの盟主であったフェリペ2世の拠点ということだけあって、この時代のカトリック圏の芸術の粋を集めた壮麗な空間が誕生したのである。
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