長崎本線の特急「かもめ」として
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「かもめ (列車)」の記事における「長崎本線の特急「かもめ」として」の解説
1976年運転開始時の編成図表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 「かもめ」「みどり」 ← 長崎・早岐 佐世保/博多・小倉 → 編成「かもめ」長崎駅 - 博多駅・小倉駅間 「みどり」佐世保駅 - 博多駅・小倉駅間 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 座席指 指 指 G 自 自 自 自 自 自 指 G 形式クハ481 モハ484 モハ485 サロ481 サハ481 モハ484 モハ485 クハ481 クハ481 モハ484 モハ485 クロ481 座席種類 G=グリーン車座席指定席 指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 1976年(昭和51年)7月1日:長崎本線・佐世保線全線電化により、以下のように変更する。「出島」4往復を特急列車に格上げ。「かもめ」の愛称を与えエル特急に指定。7往復を設定し、うち3往復が小倉駅発着とし、4往復が博多駅発着となる。 「かもめ」は6往復で佐世保線佐世保駅発着の「みどり」を併結し、1往復は「みどり」編成を「かもめ」の付属編成として運転。分割・併合は肥前山口駅で行う。 「出島」は、小倉駅発着を1往復含む6往復とする。なお、気動車による運行であったことから、2往復は島原鉄道加津佐駅へ乗り入れを行う。 また、この改正からしばらくは、優等列車の補完として、長崎・佐世保線内を快速として走る門司港 - 長崎・佐世保間の普通列車が421系電車で1往復(夜の下りと朝の上り)設定された。快速区間では停車駅・速度とも急行とほぼ同じであった。 1978年(昭和53年)10月2日:ゴーサントオのダイヤ改正に伴い以下のように変更する。「かもめ」の1往復のみ連結していた付属編成を「みどり」に編入し運転区間を佐世保駅へ延長、全列車「みどり」併結となる。ただし、実際は佐世保線西有田信号場の完成を待って翌1979年から運転開始、それまで当該「みどり」1往復は佐世保線内を運休していた。 「西九州」別府行きの大分駅→別府駅間を普通列車化。 1980年(昭和55年)10月1日:1980年10月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。「出島」の3往復を「かもめ」に格上げし、「かもめ」10往復、「出島」3往復体制とする。また小倉駅および島原鉄道線への乗り入れを終了し、全列車博多駅 - 長崎駅間の運行とする。なお、この改正は将来の急行列車の総特急化を前提としたものであったため、「かもめ」の号数には欠番が生じ、「出島」は「かもめ」の欠番を埋める形で運行された。 「西九州」の運行区間を博多駅 - 大分駅間とし、「由布」に名称を変更。 「ちくご」を廃止。 1981年(昭和56年)6月7日:長崎本線久保田駅 - 牛津駅間を走行中の「かもめ・みどり」11号が、線路の一部が波打っているのを発見して急停車。「かもめ」の後ろ2両と「みどり」の全編成が脱線した。のちに損傷の激しかった「みどり」の後3両は廃車になった。この事故は国鉄時代に485系電車が事故廃車になった唯一の事例である。 1982年(昭和57年)11月15日:1982年11月15日国鉄ダイヤ改正により「出島」の3往復を電車化し、「かもめ」に昇格。「かもめ」が博多駅 - 長崎駅間を13往復体制となる。これにより「出島」を廃止。 1984年(昭和59年)2月1日:「ながさき」を廃止。 1985年(昭和60年)3月14日:1985年3月14日国鉄ダイヤ改正により、「かもめ」の日中の5往復について「みどり」との連結運転を廃止。ただし、運行本数は13往復と変更なし。 1986年(昭和61年)11月1日:1986年11月1日国鉄ダイヤ改正により、以下のように変更する。「かもめ」と「みどり」は全列車単独運転となる。同時に「かもめ」1往復が小倉駅まで延長される。 臨時列車の「ながさき」を廃止。
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