長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故とは? わかりやすく解説

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長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故」の解説

1981年昭和56年6月7日1353分ごろ【列車脱線事故長崎本線久保田 - 牛津間を走行中の博多長崎佐世保行き特急2021M列車「かもめ・みどり11号」(485系電車12編成)が、橋梁(長さ7.3m)付近左側半径800 mカーブを約時速90km/hで走行中、左側レールが2箇所横波状に曲がっているのを運転士発見し非常ブレーキをかけ300m走ったところで停車した後ろ寄りの6両(「かもめ」後ろ2両と「みどり」全編成)が脱線した負傷者23名。原因は、暑さ(当日佐賀県で32.3度の最高気温観測していた)でレール伸びたことと、同橋梁使用していた橋梁構体枕木固定するボルト粗悪品折損したため。同橋梁では全部18本あった枕木締め付け部に平均2cm隙間開いており、該当列車通過前、暑さレール伸びた際に枕木左右にずれ、同列車が高速侵入したボルト折損後部車両脱線大破した。このボルト溶接箇所断面積20%しか溶接されていない粗悪品で、1973年には国鉄本社使用中止にし、以降枕木交換の際に継ぎ目のない一体成型品交換していたが、同橋梁では1978年枕木交換した際に、なぜか右側のみ交換され左側は古いものがそのまま使用されていた。 この頃暑さにより同様の事例多発していたことから、塩川正十郎運輸大臣高木文雄国鉄総裁いずれも当時)に注意行い全国緊急に線路状況点検が行われた。 脱線した車両のうち特に損傷激しかった「みどり」編成後部に組成されていたモハ485-117・モハ484-221・クロ481-53の3両が廃車となった同系列が国鉄時代事故廃車された唯一の事例である。

※この「長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
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