長崎水害による被害とその後の対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 15:14 UTC 版)
「中島川」の記事における「長崎水害による被害とその後の対策」の解説
1982年(昭和57年)の長崎大水害では江戸時代から残されていた多くの橋が流失、流失を免れた眼鏡橋なども一部半壊の被害を受けた。災害復旧の際、最初長崎県は防災の観点から川底の掘削と川の拡幅工事、それに伴う半壊した石橋群の撤去と石橋のあった場所に近代様式の橋を架設する提案を行った。しかし地元住民団体が文化的財産としての橋の保存を訴え反発したため、県は方針を変更し川の両側にバイパス水路を作ることによって川の拡幅による氾濫防止と石橋群の保存・再生を両立させる形となった。放流されていた鯉を水族館にて保護した上で重機による作業を実施。1983年(昭和58年)10月に眼鏡橋、続く1984年12月に袋橋と桃渓橋の復旧工事が完了し、残る6橋は1986年(昭和61年)5月に再架設された橋が開通した。復旧工事の際には自然石を使って景観に配慮しつつ護岸工事を行ったほか、川の流れを妨げにくくする対策として、流失した橋を従来より持ち上がりの大きい橋として設計している。この際、流失前は角柱だった6橋の高欄が擬宝珠付きの高欄となった。 バイパス水路は1988年(昭和63年)に右岸バイパスが建造された、左岸側は住宅街の立ち退きなどの問題があったため着工が大幅に遅れ2006年(平成18年)にようやくバイパス水路が建造された。バイパス水路には堰を設け、一定以上の水量になるまでは右岸バイパスへ水が流れるように設計されている。左岸バイパスの建造と同時に右岸バイパスの上には公園も作られた。更にバイパス水路完成後、2006年(平成18年)から2009年(平成21年)にかけて下流にある中央橋の橋脚撤去と橋桁を薄くする措置が取られた。 左岸の住宅立ち退き前(90年代頃)と、立ち退き後(2020年代)の眼鏡橋周辺 中島川とその両岸のバイパス水路(左:通常時、右:干潮時の河川増水状態)
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