銀の時代とアクメイズム
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「アンナ・アフマートヴァ」の記事における「銀の時代とアクメイズム」の解説
アフマートヴァが文壇に躍り出たのは、ロシア文学史において「銀の時代」と呼ばれる時期であった。20世紀前半のロシア文学にその名がついたのは、19世紀ロシア文学を「金の時代」と呼ぶこととの対比による。1800年代初頭にプーシキンやレールモントフ、チュッチェフといった優れた詩人が登場し(詩の黄金時代)、ついで中葉にゴーゴリ、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、ゴンチャロフら錚々たる大作家を輩出したこの時代(小説の黄金時代)に「金」の語が冠されることに異論の余地はない。しかし、1880年代以降これらの大作家が次々と世を去ると(トルストイは存命ながら小説の執筆は辞めていた)、小説・戯曲の分野にはかろうじてチェーホフが残っていたものの、詩の分野は一時期完全に停滞してしまう。 しかし20世紀の幕開けとともに象徴主義の詩人たち(フョードル・ソログープ(Fyodor Sologub)、アンドレイ・ベールイ(Andrei Bely)、ブローク他)が相次いで登場し、ロシア革命を間近に控えた1910年代初めごろから革命後の1920年代にかけてさまざまなモダニズム的傾向をもった文学運動がほぼ時を同じくして一斉に湧き起こる。これがロシア文学の「銀の時代」であり、その後生まれたフォルマリズムや、絵画や彫刻、演劇、映画などといった他ジャンルでやはり同時多発的に起きた前衛的な運動の総称である「ロシア・アヴァンギャルド」までを含む。「銀の時代」の文学運動として代表的なものには象徴主義の他に未来派(フレーブニコフ(Velimir Khlebnikov)、マヤコフスキー他)やイマジニズム(エセーニン(Sergei Yesenin)他)などがあり、マンデリシュタームやアフマートヴァ、グミリョーフに代表されるアクメイズムもそのひとつである。 アクメイズムは、雑誌『アポロン』を中心に活躍していた若い後期象徴主義の詩人たちが結成したグループ「詩人組合」("Цех поэтов")をその母体とする。1911年ごろの象徴主義詩人たちはヴャチェスラフ・イワーノフ(Vyacheslav Ivanov)を中心的な指導者として神秘主義やオカルティズムの傾向を強めていた。これに対してマンデリシュターム、アフマートヴァ、グミリョーフらの他にゴロデツキー(Sergei Gorodetsky)、ナルブト(Vladimir Narbut)、ギッピウス(Zinaida Gippius)、ロジンスキー(Mikhail Lozinsky)、クズミン(Mikhail Kuzmin)、ゼンケビチ(M.A.Zenkevich)、サドフスキー(B.A.Sadovskii)といった若手詩人15名が反旗を翻し、現実的かつ具象的な言語表現による明晰さと厳密さの追求を目的として結成したサークルが「詩人組合」である。「人が薔薇を愛するのは、それが神秘的な純粋さの象徴だからではなく、それが美しいからだ」と彼らは宣言した。詩人組合発足後まもないころの会合で提唱された「アクメイズム」の名は、「頂点=完璧さ」を意味するギリシア語「アクメ」から取られたものである。 神秘主義の袋小路へ陥っていた象徴主義への反発によって生れたことから、アクメイストたちは明瞭で地に根差した世界観とその表現を古典作家たちから学び、みずからの基礎に据えるべきことを主張した。彼らが自分たちの先達として名を挙げた詩人には、シェイクスピア、ラブレー、ヴィヨン、テオフィル・ゴーティエなどがいる。そのためアクメイズムは新古典派としての側面と、象徴主義をも(その遺産を受け継ぎながら)克服してゆこうとする最前衛としての側面をあわせもつこととなった。この特徴はアクメイズムの性格を最もよく表すものだが、彼らに少し遅れて登場したマヤコフスキーやフレーブニコフの未来派からは恰好の標的とされた。古典的な詩作法の一切を拒絶して文法や意味を逸脱させ、「ザーウミ」(超意味言語)と呼ばれる新造語を駆使するなどのラディカルな運動を展開した未来派詩人たちにとって、アクメイズムは古典や象徴主義といった葬り去るべき過去の遺物と同類だったのである。 アクメイストたちを攻撃したのは未来派や決裂した象徴主義者たちばかりではなかった。やがてロシアでは革命が勃発するが、これを「僕の革命」と呼んだマヤコフスキーにとってだけでなく、多くの芸術家たちにとってこの政治的革命は芸術的革命と軌を一にするものであった。あらゆるジャンルで世界の最先端を行く前衛芸術の成果が生まれ、その波は最高潮に達した。しかし、レーニンの死後スターリンが独裁政権を敷いたころから、芸術家たちはのちのいわゆる社会主義リアリズムへ向けて囲い込まれ、活動を制限されてゆく。党の言いなりになってプロパガンダを書くか、亡命するか、沈黙を守るか、あくまでも自分の芸術的良心にしたがうことで投獄ないし処刑されるか、それ以外の選択肢がなくなっていったのである。アクメイストたちは退廃的・反革命的であるとの非難を受け、マンデリシュタームはシベリアへ流刑となり、夫グミリョーフは処刑された。アフマートヴァ自身も長い沈黙を余儀なくされ、運動としてのアクメイズムは1920年代には消滅する(皮肉なことに、彼らを激しく攻撃したマヤコフスキーもまた秘密警察による厳しい監視下で自殺に追い込まれた)。ロシア本国においてアクメイストの詩人たちに対する再評価の機運が高まるのはペレストロイカ後のこととなる。
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