銀の時代とアクメイズムとは? わかりやすく解説

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銀の時代とアクメイズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:03 UTC 版)

アンナ・アフマートヴァ」の記事における「銀の時代とアクメイズム」の解説

アフマートヴァが文壇躍り出たのは、ロシア文学史において「銀の時代」と呼ばれる時期であった20世紀前半ロシア文学にその名がついたのは、19世紀ロシア文学を「金の時代」と呼ぶこととの対比よる。1800年代初頭プーシキンレールモントフチュッチェフといった優れた詩人登場し(詩の黄金時代)、ついで中葉ゴーゴリトルストイドストエフスキーツルゲーネフゴンチャロフ錚々たる大作家を輩出したこの時代小説黄金時代)に「金」の語が冠されることに異論余地はない。しかし、1880年代以降これらの大作家が次々と世を去ると(トルストイ存命ながら小説執筆辞めていた)、小説・戯曲分野はかろうじてチェーホフ残っていたものの、詩の分野一時期完全に停滞してしまう。 しかし20世紀幕開けとともに象徴主義詩人たち(フョードル・ソログープFyodor Sologub)、アンドレイ・ベールイAndrei Bely)、ブローク他)が相次いで登場しロシア革命間近に控えた1910年代初めごろから革命後の1920年代にかけてさまざまなモダニズム傾向をもった文学運動がほぼ時を同じくして一斉に湧き起こる。これがロシア文学の「銀の時代」であり、その後生まれたフォルマリズムや、絵画彫刻演劇、映画などといった他ジャンルでやはり同時多発的に起きた前衛的な運動の総称である「ロシア・アヴァンギャルド」までを含む。「銀の時代」の文学運動として代表的なものには象徴主義の他に未来派フレーブニコフVelimir Khlebnikov)、マヤコフスキー他)やイマジニズム(エセーニン(Sergei Yesenin)他)などがあり、マンデリシュタームやアフマートヴァ、グミリョーフ代表されるアクメイズムそのひとつである。 アクメイズムは、雑誌アポロン』を中心に活躍していた若い後期象徴主義詩人たちが結成したグループ詩人組合」("Цех поэтов")をその母体とする。1911年ごろの象徴主義詩人たちはヴャチェスラフ・イワーノフVyacheslav Ivanov)を中心的な指導者として神秘主義オカルティズム傾向強めていた。これに対してマンデリシュターム、アフマートヴァ、グミリョーフらの他にゴロデツキー(Sergei Gorodetsky)、ナルブト(Vladimir Narbut)、ギッピウス(Zinaida Gippius)、ロジンスキー(Mikhail Lozinsky)、クズミン(Mikhail Kuzmin)、ゼンケビチ(M.A.Zenkevich)、サドフスキー(B.A.Sadovskii)といった若手詩人15名が反旗を翻し現実的かつ具象的な言語表現による明晰さ厳密さ追求目的として結成したサークルが「詩人組合」である。「人が薔薇愛するのは、それが神秘的な純粋さ象徴だからではなく、それが美しいからだ」と彼らは宣言した詩人組合発足後まもないころの会合提唱された「アクメイズム」の名は、「頂点完璧さ」を意味するギリシア語アクメ」から取られたものである神秘主義袋小路へ陥っていた象徴主義への反発によって生れたことから、アクメイストたちは明瞭で地に根差した世界観とその表現古典作家たちから学び、みずからの基礎据えるべきことを主張した。彼らが自分たちの先達として名を挙げた詩人には、シェイクスピアラブレーヴィヨンテオフィル・ゴーティエなどがいる。そのためアクメイズム新古典派としての側面と、象徴主義をも(その遺産受け継ぎながら)克服してこうとする最前としての側面あわせもつこととなった。この特徴アクメイズム性格を最もよく表すものだが、彼らに少し遅れて登場したマヤコフスキーフレーブニコフ未来派からは恰好標的とされた。古典的な詩作法の一切拒絶して文法や意味を逸脱させ、「ザーウミ」(超意味言語)と呼ばれる新造語駆使するなどのラディカル運動展開した未来派詩人たちにとって、アクメイズム古典象徴主義といった葬り去るべき過去遺物同類だったのである。 アクメイストたちを攻撃したのは未来派決裂した象徴主義者たちばかりではなかった。やがてロシアでは革命勃発するが、これを「僕の革命」と呼んだマヤコフスキーにとってだけでなく、多く芸術家たちにとってこの政治的革命芸術的革命軌を一にするものであったあらゆるジャンル世界最先端を行く前衛芸術成果生まれ、その波は最高潮達した。しかし、レーニン死後スターリン独裁政権敷いたころから芸術家たちはのちのいわゆる社会主義リアリズム向けて囲い込まれ活動制限されてゆく。党の言いなりになってプロパガンダを書くか、亡命するか、沈黙を守るか、あくまでも自分芸術的良心にしたがうことで投獄ないし処刑されるか、それ以外選択肢なくなっていったのである。アクメイストたちは退廃的反革命的であるとの非難を受け、マンデリシュタームシベリア流刑となり、夫グミリョーフ処刑された。アフマートヴァ自身長い沈黙余儀なくされ、運動としてのアクメイズム1920年代には消滅する皮肉なことに、彼らを激しく攻撃したマヤコフスキーもまた秘密警察による厳し監視下で自殺追い込まれた)。ロシア本国においてアクメイストの詩人たちに対す再評価機運が高まるのはペレストロイカ後のこととなる。

※この「銀の時代とアクメイズム」の解説は、「アンナ・アフマートヴァ」の解説の一部です。
「銀の時代とアクメイズム」を含む「アンナ・アフマートヴァ」の記事については、「アンナ・アフマートヴァ」の概要を参照ください。

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