銀の木曜日
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銀の木曜日(ぎんのもくようび)は、1980年3月27日(木曜日)の、ハント兄弟としても知られるネルソン・バンカー・ハント (Nelson Bunker Hunt)、ウィリアム・ハーバート・ハント (William Herbert Hunt)、ラマー・ハント (Lamar Hunt) らによる銀市場の買い占めと、それに続き米国の銀商品市場で発生した出来事を指す。その後の銀価格の急落は、商品取引市場と先物取引市場の混乱につながった。
背景
銀の市場価格は1979年1月1日のトロイオンスあたり6.08ドル($0.195/g)から、1980年1月18日にはトロイオンスあたり49.45ドル($1.590/g)まで急上昇し、上昇率は713%だった。また銀の先物市場はCOMEX市場最高のトロイオンスあたり50.35ドルを記録し、金と銀の価格比は1:17.0まで低下した[1][2]。1979年後半の9カ月間で、兄弟は1億トロイオンスを超える銀と相当量の先物取引を保有していたと考えられている[3]。
兄弟は世界の銀の供給量の三分の一を保有していたと推定されており、政府はこの量の銀は保有していなかった。他の銀購入希望者の状況は悲惨な物であり、1980年3月26日、宝石商のティファニーはニューヨークタイム紙の全面広告において「誰かが数億、そう数億ドルもの銀を買いだめし、他人が銀製の品を人為的な高値で買わねばならないよう価格を操作しているのは、不道徳である」と述べ、ハント兄弟を非難した[4]。
1980年1月7日、ハント兄弟の買い集めに対応し、レバレッジに関する市場のルールが変更された。COMEXは"Silver Rule 7"を採択し、これは信用取引での商品の購入を大きく制限するものだった。ハント兄弟は多額の借金をして銀を購入していた。銀の価格が下落に転じると、わずか4日で50%にまで低下したため、兄弟は返済不可能に陥り、市場の混乱を引き起こした。
結末
ハント兄弟は証券会社Bache Halsey Stuart Shields(のちのPrudential-Bache SecuritiesとPrudential Securities)を含む複数のブローカーを通じて、先物取引に多額の投資をしていた。銀の価格が彼らの最低保証金を下回った時点で、1億ドルの追加保証金が要求された。ハント兄弟は要求に応えることができずに17億ドルの損失を被る可能性があり、商品取引と先物取引市場にひろく混乱が起こった。多くの政府関係者はハント兄弟が借金を返すことができずウォール街の大きな証券会社や銀行が潰れるのではないかと心配した[5]。
事件の解決のため、米国の銀行団体は11億ドルの融資枠を兄弟に提供し、Bache社への支払いを可能にし、状況を乗り切ることができるようにした。のちに米国証券取引委員会(SEC)は兄弟がBache社の株式を6.5%保有していたにもかかわらず公開していなかったとして調査を開始した[6]。
株式市場の反応
銀の木曜日はその年の株式市場の調整局面が終わりを示した日である。
影響
この事件においてハント兄弟は10億ドル以上を失ったが、一家の財産は守られた。兄弟はPlacid Oil社の株を含む財産の多くを担保に救済融資を受けた。しかし彼らの資産(主に石油、砂糖、不動産)の価値は1980年代の間徐々に減少し続け、彼らの推定純資産は1980年の5億ドルから、1988年には1億ドル以下にまで減少した[7]。1982年、London Silver Fixは90%下落し、トロイオンス当たり4.90ドルになった。
1988年、兄弟は銀市場の買い占めの謀略に対する民事告訴を受け、その行為によって損失を被ったペルーの鉱業会社への1億3400万ドルの支払いを命じられた。これを受けて兄弟は破産を申告し、テキサスの歴史上最大級の破産となった[8]。
関連項目
- シルバーショック
- 投資対象としての銀
- 住友商事銅取引巨額損失事件
- 中国国家備蓄局銅スキャンダル
- 取引による損失の一覧
脚注
- ^ “Price: UK”. www.silverinstitute.org. November 3, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。November 3, 2011閲覧。
- ^ Nguyen, Pham-Duy; Larkin, Nicholas (September 24, 2010). “Silver Futures Jump to 30-Year High: Gold Is Steady After Topping ,300”. Bloomberg. オリジナルのFebruary 9, 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ H.L. Hunt and the Circle K Cowboys Archived May 10, 2012, at the Wayback Machine.
- ^ “He Has a Passion for Silver”. TIME Magazine. (April 7, 1980). オリジナルのJuly 18, 2010時点におけるアーカイブ。 August 6, 2009閲覧。
- ^ “Bunker's Busted Silver Bubble”. TIME Magazine. (May 12, 1980). オリジナルのOctober 23, 2007時点におけるアーカイブ。 August 6, 2009閲覧。
- ^ “The Hunts are on the Hunt”. TIME Magazine. (April 14, 1980). オリジナルのNovember 25, 2010時点におけるアーカイブ。 August 6, 2009閲覧。
- ^ “Big Bill for a Bullion Binge”. TIME Magazine. (August 29, 1989). オリジナルのMay 14, 2011時点におけるアーカイブ。 August 6, 2009閲覧。
- ^ “Billionaire Bankrupts”. TIME Magazine. (October 3, 1988). オリジナルのNovember 17, 2007時点におけるアーカイブ。 August 6, 2009閲覧。
参考文献
- Fay, Stephen (1982). The Great Silver Bubble. London: Coronet, 1983. ISBN 978-0-340-33033-3.
- Jerry W. Markham (2002). A financial history of the United States: From the age of derivatives into the new millennium: (1970–2001), volume 3, M. E. Sharpe, ISBN 978-0-7656-0730-0
銀の木曜日
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「ネルソン・バンカー・ハント」の記事における「銀の木曜日」の解説
バンカーと弟のウィリアムは、石油事業で蓄えた一族の資金力を背景に、1970年代より商品先物取引市場で投機を行うようになった。70年代末にはシカゴ商品取引所で大豆の買い占めに乗り出し、資金力にまかせて価格を吊り上げ、作柄から大豆は過剰価格と判断して売り向かった新興穀物メジャーのクック・インダストリーズを倒産に追い込んでいる。 その後、ハント兄弟はオイルマネーがうなるアラブ勢を仲間に、銀先物の買い建てを大規模にやりだした。1979年には、世界の銀在庫をほぼ独占するほどのポジションを持っていた。兄弟は銀投機により1979年12月までの9か月間で推定20億から40億ドルの利益を得ており、推定銀保有量は1億オンス、90億ドル相当(当時のレートで約2兆円)であった。ハント兄弟が銀の買い占めをはじめた1979年から、銀先物取引と現物の銀価格は、79年9月の1オンス11ドルから1980年1月の50ドルまで値上がりした。 シカゴ取引所は証拠金を引き上げるなどの対策を講じた。するとハント一族は、買いポジションを維持できなくなり、シルバーフィックスの示す銀価格は暴落に転じた。1980年3月27日の取引は「銀の木曜日」と呼ばれる史上最大の暴落を記録した。最終的に銀価格は数ヶ月で80%以上下落し、同年の9月には1オンス11ドル以下になった。 このシルバーショックは銀だけに終わらなかった。兄弟の債権者が驚き、担保にとっていた銀と株式を津波のように売り出した。ウォール街は当然パニックへ突き落とされた。先物取引にこれほど株式市場を左右されたことは、それまでになかった。このような事態を当時の市場規制は全然想定していなかったし、当局もこの時はろくに動けていなかった。売り逃げようとする投資家は、当時のアナログな決済方式にしびれを切らした。その怒りは国際金融のハイテク化する追風となった。 ハント兄弟は銀投機の損失と、関係して起こされた訴訟費用の調達に窮し、連邦倒産法第11章に基づく破産を申請した。兄弟は銀市場の独占を図り市場操作を企てたとして米国商品先物取引委員会から告訴され、1989年の和解において1000万ドルの罰金と、市場取引の禁止を命じられた。この罰金のほかに、アメリカ合衆国内国歳入庁に対し、同期間の未払い税金・罰金・利子として、数百万ドルの和解金の支払いがあった。
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