ルクセンブルクの国際資本
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「クリアストリーム」の記事における「ルクセンブルクの国際資本」の解説
1970年9月28日、クリアストリームの前身セデルがルクセンブルクで11カ国の66大手金融機関により設立される。株主ごとに株式の保有は5%未満に制限された。 手形交換制度をファックスマネーで運営。IBM社からパートタイムでコンピュータを借りて決済を処理。 1971年、ニクソン・ショックが起きる。 1972年10月、加入銀行371行に達する。 1973年、日米欧三極委員会発足。 IBMコンピュータを自社で購入。摂氏18度に空調を維持する必要。壊れるとブリュッセルにあったIBMの欧州本部へ書類をつめて処理に向かった。コンピュータをIBMにこだわらなくなってから、税務署あがりの職員エルネスト・バックスとその上司ジェラール・ソワソンが、独自に情報プログラムを組んだ。これは後に何度か修正されたが、大枠はクリアストリームになってからも利用されている。取引される銘柄などは国際標準化機構でコード化された。コンピュータのメーカーはさておき、情報技術面でIBM社とは常に好意的な協力を受けていた。参考文献はカストディアンとの関係を書いていない。 世界が石油危機にあえぐ中、1979年の4月26日、5月3日、5月10日の3日間、アメリカで謎のデフォルトが起きた。 1980年、エルネスト社内ナンバー3になる。3月27日に銀の木曜日。世界的にダイヤモンド・貴金属・石油の価格が下落。しかし同年1月にはロンドンで金相場が一時850ドルを突破している。 1980年代から、世界の経常収支は毎年700億から1000億ドル超の赤字を計上する。 1983年10月までメリルリンチからのディーラーであるジョー・ガラズカが代表取締役を務める。 役員の圧力で幹部は外国籍の人物が中心に採用されるようになる。他の人事はユーロクリアと比べ回転が早かった。
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