過去は変えられない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 20:11 UTC 版)
「親殺しのパラドックス」の記事における「過去は変えられない」の解説
ノヴィコフの首尾一貫の原則に対応した解釈では、過去に遡っても自然の法則(あるいは他のなんらかの要因)により、そのタイムトラベルがなかったことになるような如何なる行為も防がれるとする。例えば、祖父を撃とうとしても銃弾が外れたり、そのような行為の成功を妨げる何らかの事象が発生する。歴史を改変しようとする時間旅行者の行為は常に「不運」に見舞われ失敗に終わるか、何らかの偶発事によって失敗に終わる。結果として時間旅行者はもともと知っている歴史を改変することができない。小説などでよくあるのは、時間旅行者が単に防ごうと思っていた事象の発生を防げないだけでなく、偶発的にその事象の発生を助けてしまうというパターンである。 この考え方では自由意志の存在が疑われ、人間に自由意志があるというのは幻想だとされたり、少なくとも限度があるとされる。またこの場合、因果性は常に守られると仮定している。すなわち、原因がなければ結果は存在し得ないとする。一方で、原因が取り除かれてもその結果生じた事象はそのまま存続するという解釈もある。 それと密接に関連する別の解釈として、時間線には自己修復能力があるという考え方がある。時間旅行者の行為は大きな湖に石を投げ込むようなものだとする。すると波紋が広がっていくが、間もなく波は消えて何事もなかったかのようにもとの状態に戻る。例えば、時間旅行者が自国を悲惨な戦争に導いた政治家を暗殺したとする。するとその政治家の周囲の者がその暗殺を口実として戦争へと突入し、暗殺への一般大衆の感情がカリスマの死を相殺することになる。あるいは時間旅行者が恋人が交通事故で死ぬのを防いだとしても、別の原因(階段を踏み外す、食事をのどに詰まらせる、流れ弾に当たるなど)でその恋人が結局死ぬことになる。2002年の映画『タイムマシン (2002年の映画)』では、主人公は恋人が強盗に殺されたため、それを防ぐためにタイムマシンを作るが、その恋人は交通事故で死んでしまう。未来へと旅立った彼は、タイムマシンでは恋人を救えないし、救えるとしたらタイムマシンを作ることができなかっただろうということを学ぶ。時間旅行者が過去に遡るきっかけとなった事象は変えられないとする物語、どんな改変も「修復」されるとする物語、あまりにも大きな改変は修復できないとする物語などがある。『ドクター・フー』のロールプレイングゲーム (en) では、時間は水の流れのようなものだと説明している。その流れにダムを作ったり、方向を変えたり、せき止めたりすることは可能だが、低いほうへと流れる全体的方向を変えることはできない。 こうした時間の自己修復能力を何らかの吊り合いを取ることで回避するという発想も存在する。『ドラえもん』第1話では「ドラえもんの力でのび太を真っ当に成長させるという過去改変を行い、未来の子孫であるセワシの困窮を回避する」という目的が語られるが、これを聞いたのび太からの「過去を変えたら君たちも存在しなくなるのでは?」という指摘に対して、セワシはのび太から自分までの歴史の流れを東京から大阪への移動に例えて「他で吊り合いをとれば大阪への到着は変わらず、自分も存在できる」と説明している。『未来戦隊タイムレンジャー』では、将来の自分に訪れる死の運命を知ってしまった人物が、別の人間が自分の立ち位置に収まり死んでいくように歴史修正を画策している。他人を身代わりにすることで死者の数を吊り合わせ、修正力から発生するであろう自身の死を回避するという試みである。身代わりとなる人物の死によって目的は達成されたと思われたが、直後に発生した戦闘によって結局その人物は命を落とすことになる。 時間旅行者が過去を変えたのか、歴史を覚えている通りに促進させたのか、はっきりしないこともある。例えば、作品が一つしか現存していない芸術家がいて、時間旅行者がその芸術家のところに行き、他の作品を隠しておくよう説得したとする。元の時間に戻ったとき他の作品を一般に知られていたとしたら、時間旅行者の計画が成功したとわかる。しかし戻ってから一週間後に他の作品が発見されたとしたら、彼の計画が歴史を変えたのか、それとも単に歴史がその通りに進行するのを助けた(つまり彼が隠すよう説得したため、これまで他の作品が見つからなかった)だけなのか不明である。
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