運用と改良
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「Il-2 (航空機)」の記事における「運用と改良」の解説
量産初期のIl-2は軽量化のため、試作型TsKB-55にはあった銃手席を廃した単座機であったが、後方機銃がないことから敵戦闘機に反撃できず損失が激しかった。このため前線部隊では後方に向けた固定機銃を装着したり、時限信管付きの迫撃砲を撃てるようにした機体もあった。そこで改良が行われ、装甲を強化、複座化し、12.7mm後方機銃を装備したIl-2M(Ил-2М)が生産された。生産ラインの変更、重量増、重心位置の移動の改設計などの手間から、全周防御が施され特に背面は12mmの装甲で守られた操縦席に対し、銃手席は後方からの銃撃から胸から下を守る6mm厚の限定的な装甲しか施されなかった。このため銃手の死傷率はパイロットの数倍に達した。完全な装甲防御の施されたタイプは戦争も末期になってからでなければ登場しなかった。 その後、主翼に途中から後退角がつけられたIl-2M3(Ил-2М3)、37mm機関砲や45mm機関砲を翼下ポッドに搭載した重対戦車シュトゥルモヴィーク型、魚雷を搭載する雷撃機型、エンジンを変更した機体など、多くの派生型が開発・生産された。なお、Il-2MやIl-2M3等の名称は正式なものではなく、型を区別しやすくする為に後世に付けられたものである。 戦後はポーランド、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、ブルガリア、モンゴルなどいくつかの国で使用されたが、多くの国では後継型のIl-10で代替され1950年代には退役した。また、朝鮮戦争でも中華人民共和国義勇軍機や朝鮮民主主義人民共和国軍機として使用された。
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運用と改良
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T-44は1947年まで約1,800輌が生産された。第二次世界大戦末期に生産が開始され、実戦配備されたT-44は実戦に投入されること無く、習熟訓練中に終戦を迎えた。その後も実戦に投入されることは無く、T-54が配備されると第二線部隊に配備されたり訓練用として使用された。一説には、1956年のハンガリー動乱に際して出動したソ連軍の車両の中にT-44が存在し、写真も撮影されている、とされているが、写真の真偽と併せ信憑性には疑問が持たれている。 1960年代に入ると、現役にあったT-44の一部にはエンジン、トランスミッション及び車輪と履帯、その他の細かな装備品をT-54に準じたものに変更した近代化改修が施され、T-44Mと命名された。1966年には砲安定装置を追加する改修が行われ、それぞれT-44S/T-44MSと命名された。この他、少数ながら搭載弾薬を減少させて無線機を増設した指揮戦車型であるT-44MK、砲塔を取り外して戦闘室上に折畳式の小型クレーンとシュノーケルを装備した装甲回収型のBTS-4A(RTS-4-44Mとも呼ばれる)も製造された。 その後、訓練車両として使われていた数十輌のT-44はソ連映画に度々登場しており、T-44そのままの姿だけでなく、ドイツのティーガーI戦車やIV号戦車風の外見に改造されたものが、ソビエト映画「ヨーロッパの解放」「モスクワ大攻防戦」等に出演している。これはT-34より車高が低く、T-55に比べ砲塔が小さいため、よりドイツ戦車を模した外観への改造に適していたためと思われる。これらのT-44改造ドイツ戦車は、2000年代になってもロシア映画やヒストリカルイベントにも姿を現していることから、未だに稼動状態を保っている車両が残っているようである。 2010年代においても、クビンカ戦車博物館を始めとしたロシア国内外の博物館には何両かのT-44が展示されている。 T-44Mモスクワ郊外、パジコヴォのロシア軍事史博物館の展示車両 ブレストで展示されるT-44
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