運用と戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:56 UTC 版)
1943年(昭和18年)秋から終戦までの間で、69隻を完成した(他に未成6隻)。計画の途中から陸海軍間での折衝の結果、機動艇(SS艇)との共用化が図られ、陸軍が資材提供を行う代わりに陸軍向けにも供給されることが決定した。これにより、後述のように35隻が陸軍へと移管されているが、うち13隻が海軍へと返還されており、最終的には合計22隻が陸軍で使用された。 海軍では、一等輸送艦とあわせて輸送専門部隊である輸送戦隊を2個編成した。フィリピン方面などでの輸送任務に投入され、その特徴を生かして戦車部隊の輸送も行っている。レイテ島の戦いでは、特二式内火艇を装備した海軍陸戦隊による逆上陸戦にも使用された。当初の計画では運用が想定されなかった波の荒い日本近海でも、補強工事を施された上で使用され、硫黄島への輸送を行うなどしている。危険な任務に多用されたため、後掲の艦歴一覧に示す通り多数が戦没した。 陸軍へは22隻が引き渡され、船舶兵が運用する機動艇(SB艇 / SB艇(T))として使用された。各1隻を装備した機動輸送中隊が運用部隊として編成された。SB艇は船舶兵にとっては不慣れなタービン機関を主機としていたため(陸軍開発のSS艇はディーゼル機関)、運用は難航したと言われる。 終戦時に航行可能な艦は特別輸送艦(復員輸送艦)となり復員輸送に従事した後、賠償艦として引き渡されるか、解体された。戦後、特別輸送艦の指定を受けた艦は「輸第何号」と改称のうえ復員輸送に従事した。
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