運用と戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:25 UTC 版)
M46は1950年8月より母体となったM26と共に朝鮮戦争に実戦投入され、朝鮮人民軍のT-34-85よりも優れた性能を発揮した。M46は朝鮮戦争で計12回の対戦車戦闘を経験し、8輌を失っている。後期には戦車戦の機会が無くなり、砲撃支援や車体を壕に隠すことで、トーチカ代わりとして働いた。「朝鮮や中国では虎が非常に恐れられている」という話から、車体や砲塔に虎縞模様、あるいは虎の顔や爪を描いたM46の写真は、同様の塗装を施したM4A3E8と共に、“朝鮮戦争におけるアメリカ軍戦車”のものとして著名である。 アメリカ軍のM46は、1957年2月に後継のM47とM48にその座を譲り、全車退役した。予備車両として保管された車両は供与品として各国に引き渡されるM47のパーツ取りに使われた他、実弾射撃の標的や兵器開発の実射テストに用いられた。 アメリカの同盟国にも供与されたが、前身のM26と同じく供与された国は少数にとどまり、M47を導入するための訓練用として用いられたのみである。この他、朝鮮戦争時に中国軍に鹵獲された車両は中国を通じてソビエトに提供され、詳細な調査を受けた。車高が高い、全体に避弾経始に優れず装甲防御に劣る、燃費が悪く航続距離が短い、乗員(特に装填手)の作業スペースが不足、エンジンの整備のためにクレーンを使ってトランスミッションを取り外さなくてはならず手間がかかる等、総合的に自軍の同クラスの重戦車より劣ると評価された。この際に解析された主砲排煙器は直ちにソビエトの開発した戦車に採り入れられており、T-55戦車に採用されている。 18インチサーチライトを装着したM46海兵隊第1戦車大隊の所属車 虎を模した塗装を施したM46部隊陸軍第6戦車大隊の車両群で、1951年3月7日の撮影
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