生産ラインの変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 00:05 UTC 版)
冬戦争が勃発し、戦略的に重要な企業としてシスは軍事政権下に置かれ、工場はヤルヴェンパーとラハティに移設されている。またこの時期、爆弾の輸送装置の製造が行われている。冬戦争が終結した1940年の春先、シスはウッドガス(木炭自動車)を燃料とする独自開発キャブレター「Häkä」の生産を開始。国の補助金を利用し生産が継続されたが、その後、ガソリンの質が向上したため1946年に生産は中止された。 1940年、アメリカのエンジン製造会社であったヘラクレス・エンジン カンパニーとライセンス契約を結び、エンジンの製造を開始 。このエンジン製造工場はトラム製造部門の建物と一緒となり、トラム部門が車軸の製造も始めたため、工場のスペースが不足している。一部工場施設はヘルシンキから移転する計画以前に既に行われており、ソビエトの空襲に対し脆弱として、首都にあった工場の移転計画が実行されている。1942年にカリスで新工場の建設が始まる。バスとキャビンの工場が最初に移され、その後、トラムの工場が続いている。大型トラックのみ1950年までヘルシンキにある工場で製造が行われていた。
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