UE2の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 10:05 UTC 版)
1935年、さらなる軍の近代化・機械化が進められることとなり、その一環として、ルノーUEの後継車輌開発が決定した。これに応えたのはルノー、ロレーヌ(en:Lorraine-Dietrich)、オチキス、フーガ、ベルリエの5社であった。 ロレーヌ社の試作車輌は、同時期に開発が進められていた中型の装甲牽引車、後のロレーヌ 37Lの小型版で、37Lでは片側3組のボギーが2組だった。オチキス、ベルリエの試作車はもっとUEに似通ったデザインで、しかしサスペンションはコイルスプリングのシザー式となっていた。フーガ製の試作車もUEに似たデザインだが、こちらはリーフスプリングのボギー式だった。これらの試作車は、1937年から1939年にかけて完成しテストされた。 一方でルノー社案のUE2は、既存のUEに小改良を施しただけのものだった。最大の違いは、UEで減速機付き・前進3速だったギアボックスを減速機無し・前進4速のものに変更したことで、これと合わせ、車体前部の牽引具も豚の尾形フックからピントル式に変更されていた。UEの後期型からの特徴、延長されたフェンダーや管制型前照灯も引き継がれた。 いずれにせよ、UEの後継と言うにはあまりに代わり映えのしない車輌ではあったが、それだけに他社の競作に比べ完成は早く、しかも生産ラインの変更が必要ないためにそのまま量産が可能というルノーの主張が容れられ、UE2は「Chenillette de revitaillemont d'Infantrie modèle 1937 R(歩兵補給用小型装甲装軌車、ルノー製1937年型)」として採用された。UE2はAMXで1080両以上、フーガで260両以上、ベルリエで210両以上が量産されている。 結局、1940年のナチス・ドイツのフランス侵攻までに、UE、UE2合わせ、約5000両が生産された。これらは、主にオチキス 25mm対戦車砲の牽引、物資の運搬に使用された。フランス戦後にUE/UE2を大量に鹵獲使用したドイツ軍では、以下のように評価している。 手頃で不整地でも扱い易く、装甲は薄く小銃弾や弾片を防御する程度しかないが、小型であるために標的になりにくい。そのため短距離の偵察、より最前線への物資や小口径砲の移送に向く。 一方、エンジンは低馬力でギア比の選択も悪いため過熱しやすく、低速で燃費も悪い(そのため長距離の偵察行には向かない)。サスペンションが硬くスプリング、履帯の破損を招きやすい。乗員席が狭く居住性に難あり。
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