芸術・学問における収集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 07:48 UTC 版)
「コレクション」の記事における「芸術・学問における収集」の解説
芸術や学問においては、先行作品や資料、文献などが後世に伝えられることがその発展の上での条件であり、したがって文物の収集は芸術、学問の諸分野で重要な役割を果たしている。特に著作、文献の収集としての図書館はすでに紀元前7世紀にその例があるが、これはあらゆる学問研究の基盤を成す収集であると言える。学問の諸分野のうちで特に収集と深い関わりがあるのは博物学であり、動物、植物、鉱物などの自然物の収集と分類がその基盤である。この分野においては趣味による採集を通じて新種の発見がなされるということも多い。考古学においては古代の人類の遺物が、古生物学においては太古の生物の化石が収集・研究の対象となり、民俗学においては、民芸品のような有形のものに限らず伝承や民謡のような無形のものも収集される。 美術品の収集の歴史は古く、ヘレニズム時代にはすでに権力者、政治家、学者らによる美術品の収集、公開が行なわれており、また古代ローマの支配拡大に伴って戦利品として古代ギリシアの美術品を持ち帰るということもしばしば行なわれた。中世ヨーロッパにおいては教会が美術品収集の中心であり、彫刻や工芸品の他、写本や珍しい動物の標本などを宝物庫(シャッツカンマー)に所蔵し、中世末期になると宮廷や富裕な市民の間でも世俗的な美術品の収集が行なわれている。ルネサンス期においては国家的なまとまりがまだ生じていなかったイタリアを中心に、メディチ家を始めとする富裕層・支配者層の間で古代美術を規範とした美術品収集が行なわれ、あるいは好古家によって骨董品収集が行われ、それにより国内外の珍品を集めて展示するヴンダーカンマー(驚異の部屋)が作られるようになった。このような私的なコレクションは啓蒙主義の時代とそれに続くフランス革命によって次々に公共化されていき、その幾つかは今日存在する美術館、博物館の基礎となっている。 日本においては奈良時代の正倉院に代表されるように献納物からなる権力者のコレクションが存在したが、個人の美意識に基づいて収集が行なわれたものとしては足利義政による東山御物などが早い例である。戦国時代から江戸時代には茶の湯の流行から各地の数寄者・大名によって茶道具や古書画が収集されており、江戸時代後期になると文人趣味の流行から中国の書画骨董が収集の対象となった。明治時代になると西洋の美意識が輸入されるようになるが、同時にフェノロサらによって日本美術の独自性が打ち出され美術収集の方向性に大きな影響を与えた。フェノロサ自身明治10年代に多くの日本美術を収集しており、現在そのコレクションはボストン美術館に所蔵されている。明治後期からは益田孝、原富太郎、根津嘉一郎、岩崎弥太郎など実業家によって古画・古磁器を中心とした美術品の収集を行われており、現代でもこのような個人コレクションがのちに美術館の基礎となる例は多い。
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