自殺を止めた具体例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:52 UTC 版)
自殺を思いとどまった有名人 庵野秀明 - TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放映後の誹謗中傷や殺害を意図する電子掲示板を見たことから、2回自殺未遂に至った事実を告白し、「死ぬのは別にいいんだけど、死ぬ前に痛いのは嫌だ」と踏みとどまった。その後は、『シン・ゴジラ』や『エヴァンゲリオン』の劇場版など、多くの作品の監督を務めた。 徳川家康 - 桶狭間の戦いで負け、将来を悲観した家康は先祖が納められた墓の前で切腹を試みようとしたが、寺の住職に「厭離穢土欣求浄土(戦乱の穢土(えど)から、戦の無い浄土を求めよ)。そうすれば仏の加護も得られよう。」と諭され、以後、その言葉を旗印に掲げ、長きに渡る戦乱のない江戸(えど)時代を築いた。 桂元澄 - 戦国武将で主君である毛利元就に謀反を起こしたメンバーの一人。謀反が失敗した際に自刃しようとしたが元就に説得され思いとどまった。その後、功績を上げ、毛利家の忠臣として仕えた。子孫にも恵まれ、維新の三傑である木戸孝允(桂小五郎)、首相にもなった桂太郎がいる。 酒巻和男 - 第二次世界大戦で最初に捕虜となった日本海軍兵である。機密を守るため自らの特殊潜航艇を沈めようとしたが座礁し捕虜となった際に、恥辱から死を望む辞世の句を遺した。しかし、捕虜として生活しているうちに、「我々は黙って働かねばならないのだ。焼けた祖国を復興再建するために、鍬を振い、ハンマーを打って働かねばならないのだ。それが亡き戦友へのお詫びである」と考えを改め、続々と増える捕虜達にも思想を広めて捕虜たちの精神的支柱となった。終戦後には、トヨタ自動車工業ブラジル現地法人の社長となった。酒巻をモデルにした作品の編集者は「悩んでもよい、挫折してもよい、大きな挫折から立ち上がって、自分で考えて行動することのヒントになれば」と作者の意思を伝えている。 ベートーヴェン - 苦難の幼少期、青年期の両親の死を経て、音楽家としてのハンデである難聴に陥った時に自殺を考えた。思い止まった後に、ハイリゲンシュタットの遺書に「芸術が私を思いとどまらせた」と記している。その後、難聴や多くの苦難を抱えながらも、歓喜の歌など多くの傑作を世に残した。 自殺を思い留まらせるエピソードがある作品 『古畑任三郎』- 32話 再会 古い友人に会うにて、「たとえ全てを失ったとしても私たちは生き続けるべきです~。」「私はこれまで強制的に死を選ばされてきた方たちを数多く見てきました。彼らの無念な顔を忘れることはできません。彼らのためにも私たちは生きなければならない。」「(死ぬよりつらい日々)だったとしても。(すべてを失っても)一からやり直しましょう」「例え、例えですね~、明日死ぬとしてもやり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?誰が決めたんですか?(年なんて関係ない)まだまだこれからです!」(抜粋) 『パーフェクトワールド』 - 「死ぬのはできること全部試してからでも遅くないじゃない」 『自殺する私をどうか止めて』 - ボランティア団体・自殺防止センターを設立した方の本。「TALKの原則」の実践本ともいえる。 『1-800-273-8255 (song)(英語版)』 - 第60回グラミー賞年間最優秀楽曲賞授賞作のラップ曲。タイトルは、アメリカの自殺防止ホットラインの電話番号であり、曲の中にも生きることを提案する内容が綴られている。本曲が注目されていた期間、自殺防止ホットラインの利用が増加し、自殺率の低下も見られた。歌手自身もカウンセリングで救われたことを明かしている。
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