ハイリゲンシュタットの遺書とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ハイリゲンシュタットの遺書の意味・解説 

ハイリゲンシュタットの遺書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 01:38 UTC 版)

ハイリゲンシュタットの遺書
Heiligenstädter Testament
手紙の最初のページ
著者 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
訳者 属啓成片山敏彦ほか
発行日 1802年10月6日
発行元 音楽之友社岩波書店ほか
ジャンル 手紙
神聖ローマ帝国
言語 ドイツ語
公式サイト www.beethoven-haus-bonn.de
コード ISBN 4-276-00581-7
ISBN 4-00-325562-3
ウィキポータル クラシック音楽
[ ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示

ハイリゲンシュタットの遺書: Heiligenstädter Testament)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン1802年10月6日ハイリゲンシュタット(今日ではウィーンの一部)において、弟であるカールとヨハンに宛てて書いた手紙である。

本書を記して25年後、ベートーヴェンが肝硬変亡くなった直後の1827年3月に、この文書はベートーヴェンの伝記を記した秘書兼弟子のアントン・シンドラー、親友であり公務員兼劇作家のシュテファン・フォン・ブロイニンクによって発見され、10月に公表された。

原文は、1888年にオペラ歌手ジェニー・リンドから寄贈され、カール・フォン・オシエツキー大学オルデンブルクが保管している[1]

概略

文章の内容は、日ごとに悪化する難聴への絶望と、芸術家としての運命を全うするために肉体、および精神的な病気を克服したい願望を反映している[2]

特徴として、カールの名前が適切な位置にあるのに対して、ヨハンの名前のあるべき位置の左側に余白があることが挙げられる。そのことに対して数多くの説明がある。例えば、ベートーヴェンが法律に準じる文章にヨハンのフルネーム(ニコラウス・ヨハン)を使うべきか不安であったこと、弟達に対する複雑な愛情の心境、生涯憎んでいたアルコール中毒で口汚い父ヨハン1792年に死亡)への感情の変化などである。

半生

1770年12月16日にドイツのボンで生まれる。3才で生活の要であった祖父が死去、アルコール中毒で虐待的で給与が途絶えがちの音楽家の父親に4才からスパルタ教育で音楽を教わり、一時は音楽への嫌悪まで表すようになった。17歳で母親が肺結核で死去。その後はアルコール依存で働けなくなった父と弟達を養うために、複数の仕事を掛け持ちした。

1792年7月、近くに寄った音楽家のハイドンが弟子入りを認め、11月にはウィーンに移住、翌月に父親が死去。20才前半で徐々に才能が認められる。

20代後半頃から音楽家としての死とも言える難聴が悪化し始める。そして、30才前半である1802年に自殺を考えて認めたのが『ハイリゲンシュタットの遺書』[2]である。

ハイリゲンシュタットの遺書の一節には「自分の生命を絶つまでほんの少しの所であった。- 私を引き留めたのはただ“芸術”だけであった。」[2]と記されている。

彼が死去したのは、この『ハイリゲンシュタットの遺書』を記してから25年後の肝硬変による病死であった。数多くの芸術作品と未完の作品と謎を残した死であった。

出典

  1. ^ Catalogue record”. University of Hamburg Library. 11 June 2020閲覧。
  2. ^ a b c ベートーヴェン|遺書|ARCHIVE”. ARCHIVE. 2023年12月15日閲覧。

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハイリゲンシュタットの遺書」の関連用語

ハイリゲンシュタットの遺書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハイリゲンシュタットの遺書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハイリゲンシュタットの遺書 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS