脱ダム宣言によるものとは? わかりやすく解説

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脱ダム宣言によるもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 00:43 UTC 版)

中止したダム事業」の記事における「脱ダム宣言によるもの」の解説

「脱ダム宣言」とは、小説家当時長野県知事であった田中康夫が、知事在任時の2001年平成13年12月20日長野県議会において宣言した政策である。 知事就任後田中康夫旧態依然たる地方自治体公共事業依存体質から脱却することを理念とし、その中でゼネコンとの癒着温床としてダム事業槍玉に挙げた。当時長野県補助多目的ダム信濃川水系天竜川水系多数計画していたが、「長野県にはコンクリートダム造らない」と議会宣言後直ち全てのダム事業中止発表した。(その後学識経験者などからなる治水・利水ダム検討委員会」が発足し個々ダム計画ごとに調査検討開始した) これに対し県議会議員県内土木建設業者激しく反発したものの、これを意に介さず浅川ダム浅川)や下諏訪ダム東俣川)を始め軒並みダム事業強制的に中止追い込んだ。さらに、中部電力建設計画していた、木曽郡大桑村王滝村にまたがる木曽中央水力発電所ダム建設も、「脱ダム宣言」に合致しないとして否定的な姿勢見せた。 この宣言は、折から公共事業見直し機運とも重なり日本国内計り知れない影響及ぼした。特にダム建設反対する“市民運動家”ら市民団体の活動活発化八ッ場ダム吾妻川)・徳山ダム揖斐川)・川辺川ダム川辺川建設反対運動をさらに盛り上がらせた。知事自身も脱ダム宣言以降積極的にダム不要論訴求し、2005年平成17年)に「淀川水系流域委員会」が大戸川ダム大戸川)を始め淀川水系計画されているダム事業中止諮問した際も、大津市で「淀川水系でも脱ダムすべきだ」と発言し一貫してダム対し否定的な行動行った公共事業への疑問を呈する意味で、彼の取った行動マスコミなど通じ報道された。さらに、公共事業依存する県内中小建設業者対し治山事業としての森林保護事業代替事業として提供する等、新たな公共事業創出図ろうとしたことも評価されている。 その一方で余りにも唐突な行動当の流域住民大きく困惑したことも事実である。特に浅川流域住民浅川ダム建設切望していたという経緯もあって、知事による脱ダム宣言反発する向き多かった知事流域住民に対してダム代替案説明した住民理解得られず、結果理解されぬままダム事業中止し蜂の巣城紛争以降起こった住民参加型のダム事業」を否定してしまった形となったまた、代替案一つでもある「河道遊水池」案(河道内に高さ30m~40mの堤防河川横断し建設治水を行うというもの)については河川法に基づくダムそのものであり、何ら代替案になっていないという批判多く出た他、肝心代替案に基づく河川整備がほとんど手付かずになっている。さらに国土交通省中部地方整備局三峰川計画している戸草ダムに関しては何も言及していない。彼の「脱ダム宣言」は反対派には賞賛浴びたが、2003年平成15年)に開催された「第1回世界水フォーラム」で日本有名なダム反対論者と「脱ダム」を訴えた所、会場聴聞していた多く開発途上国参加者から「地域事情無視した独善的な論拠で、評価値しない」と激し批判浴びている。ただし、県議会議員から挙っているダム推進の声は、本来の治水・利水考慮しているというより「反田中」の手段としているきらいもあるとの論評一部にはある。 河川行政危機管理でもあり、古来より幾度も氾濫重ね信濃川天竜川において今後どのような治水策を知事は採って行くのか、さらにダム事業中止となった河川水害起こった時に住民がどう動き知事がどう対応するのか、各方面から熱い注目浴びていたが、2006年平成18年7月長野県中部地域中心に梅雨前線による記録的な集中豪雨平成18年7月豪雨)が襲い諏訪湖天竜川流域死者が出る大災害発生した。この時は直ち現地入り行い陣頭指揮当たったものの、『治水整備の遅れが招いたではないか』という批判出された。これが脱ダム始めとする一連の田中施策独善的に過ぎるという批判反対派のみならずかつて支持していた層にも拡大施策打ち出して結果伴わないという批判重なった所にタイミング悪く豪雨災害平成18年7月豪雨)が起こりこうした中で知事改選迎えた田中選挙落選村井仁知事就任した。しかし、実際のところ被害甚大であった岡谷市付近は脱ダム宣言によって中止したダム事業無く、さらに被災地視察した村井候補が「(豪雨災害は)天の戒めである」と発言したことから、災害反田中の材料として使われることで住民反感を買い知事選における諏訪地域での得票は、田中村井上回る結果となった田中落選後の記者会見において脱ダム宣言今後について、『新し知事がお考えになるのが宜しい』として言及避けた田中破って知事となった村井仁当初ダム宣言見直し言明していたが、その後個々河川整備状況を見ながら考える』として性急なダム建設回帰には慎重な姿勢見せた河川行政を担う国土交通省も『長野県から(ダム事業再開の)話があればその時には話を伺う』として、様子見ている。村井2007年2月8日に『脱・脱ダム宣言』を行いダム建設再開表明した。 こうして田中の『脱ダム宣言』は村井の『脱・脱ダム宣言』によって180度方針転換されたが、従来河川行政対すアンチ・テーゼとしてのインパクト極めて高いものであり滋賀県嘉田由紀子知事ダム凍結宣言にも影響与え全国ダム事業対し問題提起与えた意味では1つエポック・メイキングであった一方で治水対策後手回った事による災害惹起に対しては、今後検証をする必要性指摘されている。

※この「脱ダム宣言によるもの」の解説は、「中止したダム事業」の解説の一部です。
「脱ダム宣言によるもの」を含む「中止したダム事業」の記事については、「中止したダム事業」の概要を参照ください。

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