聖ヨハネ騎士団、マルタへ
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「マルタ包囲戦 (1565年)」の記事における「聖ヨハネ騎士団、マルタへ」の解説
「聖ヨハネ騎士団」および「マルタ騎士団」も参照 そもそもマルタ防衛を完遂したマルタ騎士団の由来は、12世紀前半にイェルサレムで設立され、当時盛んだった十字軍の一翼を担いイスラム諸国から聖地防衛の戦いにあたった宗教騎士団聖ヨハネ騎士団である。1530年10月26日に総長(団長ともいう)フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダンと配下の騎士たちがマルタ島の古来よりの良港Il-Port il-Kbir(現在のグランド・ハーバー)へ到着して以来、マルタ騎士団の名前で知られるようになった。カール5世 (神聖ローマ皇帝)(スペイン国王カルロス1世)が、彼らにマルタを領土として与えたのである。 1522年、騎士団は本拠地としていたロドス島をオスマン帝国軍との6か月間に渡る包囲戦の末に奪われた。本拠地を失った騎士団だったが、1530年にカール5世から幾つかの条件と引き換えにマルタ島とゴゾ島を授けようという呼びかけが入る。その条件とは毎年一羽の鷹をシチリア副王へ納め、聖人の祝日全てに荘厳なミサを挙げることであった。さらに北アフリカ沿岸のスペイン領トリポリ の守備もカルロス5世は騎士団に要求した。北アフリカ沿岸はオスマン帝国のバルバリア海賊支配下にあったからである。 新たな根拠地を与えられた騎士団だが、幹部たちの多くはロドス島を再び取り戻す夢に固執していた。この申し出を受けるということはスペイン王国に全面的に従属することに他ならず、騎士団の独立性が失われてしまうことを意味していた。さらにマルタ島の五倍以上の面積があり、東ローマ帝国時代からの要塞が利用できたロドスと比べれば、マルタは経済的にも軍事的にも価値の少ない地に見えたのである。 しかし選択の余地はなく、騎士団はマルタに入ることとなった。騎士団はマルタを次第に要塞化、異教徒と思われる商船を襲撃し始めた。一方でバルバリア海賊らが1540年代から1550年代を通して西地中海の至る所で襲撃を増加させるにつれ、地中海の中央部に位置するマルタ周辺は、次第に東西を繋ぐ戦略上の重要な航路になっていった。 当時バルバリア海賊の中でも特にトゥルグト・レイス率いる船団は地中海中央部のカトリック教国に対して主要な脅威になりつつあった。1551年、トゥルグトとオスマン帝国のスィナン・パシャ提督はおよそ10,000人の軍勢でマルタ島に襲来した。オスマン軍は数日間マルタ島を攻撃、その後隣のゴゾ島へ移り、数日間島の要塞を砲撃した。ゴゾ島駐在のガラティアン・ド・スッス (Galatian de Sesse) 総督は抗戦は無駄であると考えて抵抗することなく開城、海賊たちは町を略奪した。こうして騎士団の動きを封じた上でトゥルグトとスィナンはトリポリへ南下、難なく占領した。地元の首領アガ・モラトは最初トリポリ総督に任命されたが、直後にトゥルグト自身が一帯を支配下においてトリポリのベイとなった。 この事態に騎士団総長フアン・デ・オメデス・イ・コスコンは再侵攻が一年以内にあり得ると判断し、マルタ島のビルグ半島(現在のヴィットリオサ市街)の先端に位置する聖アンジェロ砦の強化を命令した。同様に新たな2つの砦、セングレア半島に聖ミケーレ砦、シベラス半島(現在のバレッタ市街地)の突端には聖エルモ砦を新規に建設させた。2つの砦はわずか6ヶ月で完成、後の包囲戦において防衛側の要となった。 スペイン側の海賊とオスマン側の海賊の衝突は衰える事なく続き、さながら現代戦における通商破壊 (the guerre de course) の様相を呈したものの、続く数年間は相対的に平穏であった。1557年、フランス貴族出身であるジャン・ド・ヴァレットが騎士団総長に選出された。彼は異教徒の商船への襲撃作戦を続行し、在職中に騎士団が率いる私掠船は莫大な財宝と約3,000人のイスラーム教徒とユダヤ人からなる奴隷を獲得したとされる 。 しかし、1559年以降トゥルグトのスペイン沿岸部襲撃もまた増え始め、それを憂慮するカトリック教徒勢力を結集させた。トリポリから海賊らを追い立てるためフェリペ2世は過去50年間で最大級の遠征を決意した。当然マルタ騎士団は54隻のガレー船と14,000人の兵員を編成して遠征に参加した。だが遠征軍は1560年5月にピヤーレ・パシャ提督率いるオスマン艦隊とチュニジア沖のジェルバ島で交戦、戦力の半分が沈没または拿捕されるという壊滅的な敗北を被った(ジェルバ島の戦い)。
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