聖ヨハネ大学(St.John's U.)との関係
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旧聖ヨハネ大学は、宋家の三姉妹:靄齢、慶齢、美齢の兄弟・宋子文を輩出している。彼は卒業後、国費留学生としてハーバード大学・コロンビア大学を経て経済学でPhDを取得、帰国後は国民党政府財政部長、中央銀行総裁、広東省政府主席などを歴任した国際派経済学者だった。彼の他にも、CITICの創始者・栄毅仁、香港最大の映画会社・ゴールデン・ハーベスト社の創設者・鄒文懐、作家・言語学者の林語堂など、実業界、外交、医学、科学、金融、教育界と優れた人材を数多く輩出している。 聖ヨハネ大学は1920年~40年代にかけ、中国で最も影響力のある権威ある大学に成長し、“東洋のハーバード大学”、“外交官の揺籃地”と呼ばれた。卒業生は米国の大学生と同じ学位をもち、卒業後は米国の大学院に留学することができた。国内では多くの者が租界の行政機関に就職し、医学部の卒業生は工部局の病院に採用された。 1949年共産中国が成立すると、聖ヨハネ大学も中国政府の教育機関としての登録を求められた。しかし宗教を否定する共産主義政府の大学として登録することは、キリスト教主義の教育と矛盾すると考えた大学と宣教団は、登録を拒否した。大学は、以後それによる様々な差別と不利益と戦うこととなる。 1952年、ついに大学は終局を迎える。海外の国際機関が運営する教育施設は全て廃止し、国立の教育機関として組み替えられることとなったのだ。聖ヨハネ大学も米国聖公会から完全に独立せざるを得なくなる。中国政府教育部は直ちに聖ヨハネ大学の大々的な解体に着手した。ジャーナリズム科は復旦大学へ、建築科は同済大学へ、経済学部は上海大学の財務・経済学部へ、政治法律学科は華東政法学院(現華東政法大学)へ、中国語・中国文化科は華東師範大学へと移管された。医学部は上海第二医科大学へ移管され、更に2005年に同済大学へ再度移された。上海の教育機関は、聖ヨハネ大学の解体により教育上の多く恩恵を受けた。今は同じ場所に華東政法大学が残るのみとなった。
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