空母任務群司令官1944とは? わかりやすく解説

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空母任務群司令官・1944

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:26 UTC 版)

アルフレッド・E・モントゴメリー」の記事における「空母任務群司令官・1944」の解説

1944年入って早々、パウナルは戦いぶりニミッツ合衆国艦隊司令長官兼海作戦部アーネスト・キング大将アナポリス1901年組)らに不当に評価され解任され後任にはミッチャーが就任して部隊名も第58任務部隊となったモントゴメリーは第58.2任務群を指揮することとなり、はじめの3か月1944年1月クェゼリンの戦い支援および2月17日トラック島空襲2月下旬マリアナ諸島空襲および3月30日から31日にかけてのパラオ大空襲参加このうちトラック島空襲では、指揮下の空母イントレピッド」(USS Intrepid, CV-11)が日本軍の反撃魚雷命中し損傷するという不覚をとった。続く3か月4月ホーランジアの戦い支援5月南鳥島およびウェーク島への攻撃経て6月サイパンの戦いマリアナ沖海戦迎える。6月19日マリアナ沖海戦では大きな被害は受けなかったとはいえ至近弾で「バンカー・ヒル」(USS Bunker Hill, CV-9)と「ワスプ」(USS Wasp, CV-18)が損傷したサイパン島巡る戦いを含むここまで功績評価されモントゴメリー海軍十字章授与された。 合衆国大統領は、空母任務群の戦術指揮官として突発的な英雄的戦闘繰り広げた少将アルフレッド・ユージーン・モントゴメリーに対して海軍十字章授与する1944年2月21日サイパン島への攻撃彼の任務群は敵の爆撃雷撃巧みにかわし、対空砲火戦闘機迎撃により17機を撃墜したまた、敵の輸送船航空機海岸施設攻撃して貴重な写真撮影することに成功し味方部隊無傷保った彼の卓越したリーダーシップ優れた戦術的能力義務遂行のための勇敢な献身ぶりは重要任務成功大きく貢献し、これはアメリカ海軍偉大な戦功反映するのである。 —  また、二度目海軍殊勲章授与された。 少将率い空母任務群は、1944年3月から6月にかけてパラオウェーク島南鳥島およびホーランジアへの航空攻撃行い、敵の物資沿岸施設大きな損害与えた。特にホーランジアでは橋頭堡確立取り組んでいた水陸両用部隊に非常に貴重な支援行い橋頭堡の確保後も味方部隊進撃支援し続けた1944年6月マリアナでの戦いで日本航空戦力徹底的な破壊参加し重要な敵艦隊へ大なる打撃与えた。 —  サイパンの戦い後の6月下旬から8月にかけて、ミッチャーの第58任務部隊グアムの戦い支援スカベンジャー作戦を含む小笠原諸島攻撃を行う。ところで、サイパンの戦い通じて第58.4任務群を率いW・Kハリル少将は、消化不良戦い終始したためミッチャーの不興を買い更迭された。モントゴメリー7月に第58.2任務群の指揮ラルフ・E・デヴィソン少将交代しハリル後任として第58.4任務司令官転じたスカベンジャー作戦においてモントゴメリーの第58.4任務群は、第58.1任務群を率いた「ジョッコー」ジョゼフ・J・クラーク少将アナポリス1918年組)とともに小笠原諸島日本軍拠点に対して反復攻撃実施した8月下旬スプルーアンスハルゼー第3艦隊交代することとなったが、ミッチャーのポジションについては後任内定していたマケインのの技量が十分ではなかったため、マケインに第38.1任務群を与えて研修期間」とし、「研修」が終わるまで引き続き部隊指揮執ることとなった第38任務部隊8月末から10月下旬にかけて、ミッチャーのもとでパラオおよびフィリピン攻撃レイテ島の戦い支援レイテ沖海戦戦った部隊一息ついた10月30日ウルシー環礁帰投し、ミッチャーは休養入ってマケインがその職を継承しマケイン率いていた第38.1任務群はモントゴメリー委ねられた。第38.1任務司令官となったモントゴメリー引き続きフィリピン攻撃従事し12月17日から18日にかけて遭遇したコブラ台風では、台風遭遇した任務群のうちでは最も南に位置していたものの、「カウペンス」(USS Cowpens, CVL-25)と「モンテレー」(USS Monterey, CVL-26)が損傷する被害受けたコブラ台風散々な被害受けた第38任務部隊12月下旬ウルシー帰投。ここで司令官の交代が行われ、モントゴメリーは第38.1任務群の指揮ラドフォード譲って部隊から去ったフィリピンをめぐる一連の戦いで働きぶりも評価されモントゴメリー三度目海軍殊勲章授与された。 少将率いる第38.1任務群は、1944年10月30日から12月29日にかけてフィリピン諸島地域点在する日本軍に対して攻撃行った彼の迅速な行動レイテ島展開する味方部隊助けマニラを含むルソン島各地域散らばる日本の航空機輸送船陸上施設に対して濃厚な攻撃繰り返し、重大かつ致命的な打撃与えた。彼は空中戦闘含めて卓越したリーダーシップ技量いかんなく発揮し戦略面で重要な時期最大限努力払って味方部隊良い影響与え、この戦争における重要局面行く末良い方向持っていくことに影響与えた。 — 

※この「空母任務群司令官・1944」の解説は、「アルフレッド・E・モントゴメリー」の解説の一部です。
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