石高における田畑、新田高の割合とは? わかりやすく解説

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石高における田畑、新田高の割合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:25 UTC 版)

石高」の記事における「石高における田畑、新田高の割合」の解説

正保郷帳には田畑新田高の記載がある。以下に正保郷帳やそれに近い写本によって、正保年間前後一国全域(陸奥国に関して六分割された担当地区)の田方畑方石高新田高の何れか判別する旧国石高をまとめる。但し、貫高永高反高、その他石高表記されていない金・銀・銭・米・・綿・麻・漆・材木類・塩・魚介類などの小物成高は省略する正保年間前後における各国田畑石高新田高の割合旧国表高 (本田高・寺社領小物成等)表高含まれない石高 (新田高・小物成等)内高田方/田畑内高/表高総計田方畑方その他総計田方畑方その他河内国 264,952.34320 204,160.61090 59,018.27710 1,773.45520 566.08200 28.00000 538.08200 265,518.42520 77.58% 100.21% 和泉国 159,628.55800 128,867.56700 28,902.80700 1,858.18400 81.68% 摂津国 375,496.75500 5,378.64200 380,875.39700 101.43% 伊勢国 596,334.68500 434,764.76300 159,069.92300 62,561.63400 658,896.31900 73.21% 110.49% 尾張国 535,608.86100 34,843.99300 570,452.85400 106.51% 遠江国 280,733.49000 204,711.69600 64,875.59400 11,146.20000 20,670.69624 301,404.18624 75.94% 107.36% 武蔵国 982,337.96580 489,528.29602 401,799.74578 91,009.92400 7,387.36800 989,725.33380 54.92% 100.75% 安房国 92,641.68000 60,034.65700 29,834.35500 2,272.21800 66.80% 美濃国 609,740.99900 395,170.99240 199,143.81760 15,426.09700 18,225.113000 14,457.69100 3,824.54400 627,966.11200 66.87% 102.99% 飛騨国 38,764.40000 25,475.32700 13,289.07300 65.72% 信濃国 544,770.33800 319,285.18200 220,279.82500 5,205.33100 33,636.06700 23,588.60000 9,994.63700 52.83000 578,406.40500 59.82% 106.17% 上野国 515,221.29926 245,294.90573 269,734.81370 191.57983 47.63% 下野国 568,733.92000 294,521.67000 266,326.96000 7,785.29000 49,858.41000 19,262.94000 30,595.47000 618,592.33000 51.38% 108.77% 奥州棚倉岩城中村205,026.59540 140,057.63300 63,375.12740 1,593.83500 47,658.73400 252,685.32940 68.85% 123.25% 奥州仙台領 654,110.88000 525,562.77000 128,548.11000 91,182.50000 83,008.89000 8,173.61000 745,293.38000 81.66% 113.94% 奥州南部領 100,550.16500 72,413.35800 28,136.80700 72.02% 奥州津軽45,000.00000 41,160.44000 3,839.56000 57,468.80000 102,468.80000 91.47% 227.71% 出羽国 951,523.47600 794,694.36400 139,324.15100 17,504.96100 172,871.41700 1,124,394.89300 85.08% 118.17% 若狭国 85,460.08890 74,325.63800 11,134.45090 86.97% 越前国 680,293.30800 512,404.32070 167,888.98730 75.32% 加賀国 422,958.60000 334,338.59000 88,620.01000 17,440.55000 10,693.61000 5,789.04000 957.90000 440,399.15000 78.52% 104.12% 能登国 225,006.15000 170,078.44000 54,927.71000 30,549.06000 12,334.79000 2,834.64000 15,379.63000 255,555.21000 75.95% 113.58% 越中国 592,415.66000 502,729.48000 89,686.18000 69,671.00000 59,150.80000 9,151.92000 1,368.28000 662,086.66000 85.04% 111.76% 播磨国 542,130.12700 445,278.07200 96,725.06100 12,499.66000 554,629.78700 82.15% 102.31% 美作国 186,500.00000 132,035.60000 54,464.40000 51,129.30000 237,629.30000 70.80% 127.42% 備前国 280,200.00000 212,951.80000 67,248.20000 16,202.00000 296,402.00000 76.00% 105.78% 周防国 202,787.60000 158,494.43100 44,293.16900 78.16% 長門国 166,623.40000 131,765.91600 34,857.48400 79.08% 伊予国 400,271.87300 295,290.67690 98,622.33910 6,358.85700 2,266.26900 1,480.91000 785.35900 402,538.14200 74.91% 100.57% 土佐国 248,328.12000 6,050.00000 254,378.12000 102.44% 筑前国 522,512.60130 431,908.85120 90,603.75010 95,435.67460 617,948.27590 82.66% 118.26% 豊後国 357,300.51500 208,685.71690 145,435.27810 3,179.52000 7,064.00617 1,976.59322 5,087.41295 364,364.52117 58.33% 101.98% 肥後国 579,711.78700 378,752.16200 195,512.04000 5,447.58500 38,091.29000 23,777.16400 14,314.12600 617,803.07700 65.15% 106.57% 対馬国 6,269.71500 406.62300 5,863.09200 6.49% 琉球国 123,711.81348 68,264.52700 53,102.15538 2,345.13110 56.25% 総計 13,143,657.76934 8,433,415.07675 3,374,483.25346 173,098.16813 948,708.26601 249,759.98822 90,550.75895 18,296.72200 11,920,414.00771 71.48% 108.65% 耕地面積の内、田方畑方面積割合それぞれ55%、45%であるのに対し(享保6年反別)、田畑石高の内、田方畑方割合全国的にそれぞれ70%、約30%であり(正保郷帳石高)、石高は米に偏重する傾向があるとはいえ、米の収穫高を表すものではない。また新田高は、正保郷帳での新田高の記載判明している地域表高約1192万石に対して95万石である。 ただし『寛永奥州之内南部領高郷村帳』の奥書によると、南部藩内検では内高220400石余を集計していたが、幕府指示により正保4年(1647年)に領地10万0550石余に割り込ませた郷帳国絵図提出したとしている。 また尾張藩正保元年(1644年)、年貢据え置きのまま税率を六公四民から四公六民下げる高概(たかならし)を行い尾張八郡内の尾張藩本田高を483252石0斗2升3合から631528石9斗3升6合、新田高を29682石4斗1升4合から33571石2斗2升5合と、太閤検地時代石高に修正している。しかしながら幕府には慶長12年(1607年)に実施され備前検地石盛基づいた本田高・新田高を正保郷帳・国絵図記載する石高として報告している。 飛騨国においては慶長郷帳正保国絵図国高が全く同一の38764石4斗であるが、内高の方は慶長18年(1613年)の時点で45789石8斗4升3合8勺(高山市郷土館飛騨国三郡高之帳』)、寛文4年(1664年)の時点5万2808石5斗余(加藤歩簫著『紙魚やどりぎ』)となっている。石高自体決し大きくないが、割合ではそれぞれ18%、36%の増石相当する長州藩の『寛永2年周防国長門国一紙』によると、寛永(1625年)の熊野検地により周防国内高373040石8斗8升2合、長門国内高285258石4斗4升9合、二国合計658299石3斗3升1合を集計している。 これら奥州南部領尾張飛騨周防長門新田高等60万石正保郷帳から漏れており、幕府報告上がっていない新田高は正保郷帳・国絵図作成時にも既に相当数存在するとみられる寛永二年防長両国検地旧国石高田方方屋敷方小物成塩浜浮役周防国 373,040.88200 285,697.43552 42,108.70550 18,792.84264 22,150.54534 3,145.24800 1,146.10500 長門国 202,247.23000 164,877.10298 21,640.67413 10,692.84630 1,687.67928 1,199.55231 2,149.37500 防長二国合計 575,288.11200 450,574.53850 63,749.37963 29,485.68894 23,838.22462 4,344.80031 3,295.48000 割合 100.00% 78.32% 11.08% 5.13% 4.14% 0.76% 0.57% また18世紀以降検地実施減り、特に天領では内高(実高)であっても実際土地生産性よりも過小評価となっているのが常であった

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