真犯人判明後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:29 UTC 版)
甲が刑期を終えて出所した後の2006年(平成18年)8月、真犯人の男Xは別の強制わいせつ事件で鳥取県警察に逮捕され、同年10月には(A・B両事件とは別の強姦致傷・強姦未遂容疑で)氷見署に逮捕された。同年11月中旬、Xは氷見署の取り調べに対し、A・B両事件について自白し、両事件について詳細に供述した。両事件の犯行現場にあった足跡とXの足跡が一致したことや、犯行時刻は甲宅の電話の通話時刻と近接していた(甲の犯行は困難である)ことなどが判明したため、Xは両事件の真犯人として、2007年(平成19年)1月19日にA事件の強姦容疑と、B事件の強姦未遂容疑で氷見署によって再逮捕された。 富山県警は2007年1月17日、甲の親族へ経緯を説明して謝罪し、真犯人としてXを逮捕した1月19日に記者会見で事実を発表した。これを受け、富山地検高岡支部は同年2月9日、真犯人X(それ以前に婦女暴行傷害など10件で起訴)を両事件の被告人として起訴するとともに、甲の名誉回復を急ぐため、富山地裁高岡支部に甲への無罪判決を求める再審を請求した。また、1月29日に富山地検の検事正が甲に直接謝罪した。 再審の論告公判は8月22日に行われ、検察官・弁護人の双方が甲に無罪を求めた。同年10月10日、富山地裁高岡支部(藤田敏裁判長)は甲に無罪判決を言い渡した。また検察側が控訴しなかったため判決はそのまま確定した。一方、XはA・B両事件を含め、富山・石川・鳥取の3県で、少女(被害者はいずれも当時13 - 18歳)を標的とした同様の手口による14件の婦女暴行事件を起こしたとして起訴され、2007年11月14日に富山地裁高岡支部(藤田敏裁判長)で懲役25年(求刑:懲役30年)の実刑判決を受けた。判決は同月29日付で確定し、Xは岐阜刑務所に下獄した。 富山県警が冤罪事件について謝罪したとされる1月23日夜の翌日、24日昼に、甲は富山地検に呼び出され、「当時の取り調べ捜査官、担当検事を恨んでいません」などという内容の調書を意思に反して作成させられた上、甲が知らないはずの事件の詳細についての自白書類が富山県警により捏造され、署名・指印させられたことが判明している。 無罪となった甲は真犯人発覚後、マスコミのインタビューに答え、尋問した刑事から「身内が間違いないと認めている」と告げられ弁明しても聞いてもらえず、罪を認めざるを得ない状況に陥ったと答えている。また、同意すること以外は意見を述べることを刑事から禁じられた上で、刑事の言うことが事実だという念書を書かされ、署名させられていたとも告白している。 再審では尋問した取調官の証人尋問が却下されている。藤田敏裁判長が「ただ単に無罪判決を出す手続きにすぎない」と理由を述べたためで、この発言に対し、「本気で真相を究明し、反省する気があるのか」という疑問や非難が出た[誰?]。さらに判決公判でも謝罪は裁判所側からは一切行われておらず、甲は判決中述べた裁判官のあまりにも他人事な発言に「むかついた」と怒りを露わにした。 無罪判決が確定したものの、取調べをした警察官などの証人尋問および処分が実施されていないなど、冤罪事件が発生した経緯が解明されていないとして、甲は2009年5月14日に国家賠償訴訟を提訴した。 2014年2月17日の富山地裁での第24回口頭弁論の取調官の証人尋問で、被害者の自宅の見取り図は甲に確認しながら取調官が見本を書き清書させたと取調官は証言した。凶器、被害者の縛り方など容疑者が知り得ない事柄には取調官が選択肢を示し供述を得ていたことも認めた。同年4月21日の富山地裁での第25回口頭弁論で事件当時の検察官は、通話記録について見たが精査しなかったと弁明した。足跡のサイズの差についても、バスケットシューズは大きめを履くこともあり矛盾するとは思わなかったと弁明した。 2015年4月に富山地裁は、富山県警の捜査の違法性を認め、県に1966万円の支払いを命じる判決を言い渡し確定した。
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