相談員
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「バラエティー生活笑百科」の記事における「相談員」の解説
レギュラー相談員 - 「」の中は紹介時のキャッチフレーズで、2016年4月2日放送分を最後に廃止されている。 上沼の降板後は、みどりが準レギュラーとして月に1〜2回出演し、それ以外の週は複数の女性相談員が入れ替わりで出演する。 辻本茂雄「ツッコミ鋭く顔も鋭い」(2004年 - 。かつては毎週出演していたが、2008年4月以降から隔週出演となった) 桂吉弥「落語はしっかり家ではうっかり」(2008年4月19日 - 。辻本と隔週交代) 若井みどり「名前もわかい(=若井)気もわかい(=若い)」(上沼不在時に『特別相談員』として登場、降板後は通常相談員に) 山田花子「天然ママは花より息子」(2013年12月14日 - ) 海原やすよ「お笑い三代たまには散財」(2013年11月30日 - ) 三倉茉奈「『ふたりっ子』から『だんだん』と今は頼れるお姉さん」(2013年11月9日 - ) 三倉佳奈「『ふたりっ子』から『だんだん』と今はかわいい若奥さん」→「『ふたりっ子』から『だんだん』と今はかわいいお母さん」(2014年2月22日 - ) 過去のレギュラー相談員・その他の特別相談員は以下の通りである。 上沼恵美子「人生バラ色おしゃべり七色」(番組開始当時は「浪速のヤング主婦代表」) - 番組開始以来28年半相談員を担当。パイロット版から出演。本番組での「大坂城も淡路島も私のもの」「日本の個人資産の3割は上沼家保有」「専用ジェット機でパリでお買い物」といったホラふきキャラで人気を高め、1994年・1995年には『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を任されることになった。放送開始時から出演していたが、2013年9月28日放送分を以って降板した。降板をめぐっては「仁鶴とのトラブルが原因」と一部で報じられていたが、NHK大阪放送局ではこの報道を公式に否定。自身が所属する上沼事務所の関係者も、『週刊文春』の取材に対して、「以前から降板を申し入れていたが、NHKから慰留されたため出演を継続していた。『今後も特別番組には出演する』との条件で、降板を了承された」と語っていた。実際には降板後に仁鶴と共演する機会がなかったものの、仁鶴の追悼番組の放送に当たってVTRで出演。「(他の番組で共演していなかった)スターの仁鶴師匠と(2代目相談室長への就任を機に)御一緒できることが、震えるほど嬉しかったです。上品で、(収録では)必ず敬語をお使いになって、(自分の話が)全然面白くなくても『ハハハ』と笑って下さったので、次(話の続き)が喋りやすかったです。夫婦のことなどでもっと素敵な話をしたかったし、相談したかった。丸〜くおさめてもらいたかったです。『ニコッ』とした100万ドルの笑顔を私に注いでいただいたことが、(今も自分の)心の財産になっております。ゆっくりお休み下さい」とのメッセージを寄せている。また、番組最終回にもVTR出演しており、終了を労うメッセージも送っている。 桂ざこば(旧:桂朝丸)「自称・浪花のお父さん(いつも元気なお父さん)」 月亭八方 キダ・タロー「浪花のモーツァルト」(番組テーマ曲担当のため、降板後もゲスト出演機会も多い) 赤井英和「頼れる浪花の熱血漢」(レギュラー降板後長らく出演が途切れていたが、2014年7月26日の放送でゲストとして久しぶりに出演した) 大東めぐみ 遥洋子「野球は阪神、私は独身」 堀ちえみ 今いくよ「友情も厚いが化粧も厚い」 - レギュラー相談員降板後も、特別相談員として出演することがあった。なお相方の今くるよは、いくよ他界後の2015年12月26日の放送で特別相談員として出演した。 タージン - 2016年5月28日、6月4日放送分に特別相談員として出演。2021年12月11日からは後述の企画も並行して担当している。 河島あみる - 2016年7月9日放送分に特別相談員として出演。同じNHK大阪製作の『ぐるっと関西おひるまえ』の司会を担当。 浜口順子 - 2018年9月15・22日放送分に特別相談員として出演。2019年以降も出演が多い。 桂南天 - 2012年の南天襲名直後に特別相談員として出演した後、しばらく機会がなかったが、2019年(8月3日放送分など)に入ってから数度出演。
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