環境、災害対策・都市景観への配慮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:58 UTC 版)
「名古屋高速2号東山線」の記事における「環境、災害対策・都市景観への配慮」の解説
3号大高線(画像左)と2号東山線(画像右)。若宮大通区間では画像左のT型橋脚をやめて梁なし2柱式となり公園デザインと高架構造が一体となるようなデザインが採用された。また、箱桁は逆台形式、排水管も橋脚に内蔵するなど景観にこだわりを持った。 名古屋高速は自動車公害や日照阻害を懸念する地域住民との折衝を経て当初計画案を可能な範囲で住民要望に沿うよう変更を重ねて建設された。中には建設コストや工期短縮の面から構造の変更を実施した路線もあるが、その中にあって2号東山線は環境的配慮から大幅な構造とルートの変更をおこなったことは先述した。このうち、日照阻害や騒音公害低減の意図から半地下式で建設された吹上西出入口 - 四谷出入口間と、緑豊かな東山公園一帯の環境保全の観点からトンネル式で建設された四谷出入口 - 高針集約料金所間における概要、環境的配慮については名古屋市道鏡ヶ池線、東山トンネルをそれぞれ参照されたい。従って、本節では新洲崎JCT - 吹上西出入口間における環境対策、景観面について解説する。 新洲崎JCTから吹上西出入口付近までは若宮大通の中央に建設された。若宮大通は久屋大通とともに名古屋を代表する100メートル (m) 級の広幅員道路で、街のシンボル的存在である。従って、ここに高架式高速道路を建設するにあたっては都市景観に対する特段の配慮を払うこととされた。建設を前にして市議会において高架下のグリーンベルトを公園として再生させる提言が出され、地元住民からもテニスコートや並木道、遊歩道的な歩道の造成等、各種施設を盛り込むよう要請がなされた。特に従来、高架下のイメージは暗い、重たいというマイナスイメージがあったことから、高架建造物も公園の構成要素との考えで開かれたイメージを付与するべくデザインを展開した。その内訳は、橋脚を従前の門型ないしT型に替えて梁なし2柱式とし、橋脚内に排水管を埋め込んだうえでコンクリートであるにもかかわらず塗装を行い、都市風景の一要素となるべく公園との調和を図った。橋脚に載る箱桁は逆台形としたほか、市長より久屋大通との交差部においては特に景観に配慮するよう要請されたことから、当該箇所の継ぎ手をボルト締めから現場溶接とした。また、高架を挟むようにして既存の銀杏並木を生かし、運動施設や花壇を設置するなどして高架下のイメージの向上につなげた。 なお、第二次世界大戦の空襲によって焦土と化した名古屋市の戦後復興において、住民の猛反対を押し切って若宮大通、久屋大通を造成した名古屋市技監の田淵寿郎が後年、公社職員に戦後復興で完成させた100 m道路に高速道路を通すことをどう思うかと尋ねられると、「その時々の人が選べばいいんだよ。都市計画とはそんなものだよ」との返事をしたとされる。 若宮大通直下には調節池が設けられている。近接する堀留水処理センターの関連施設で、都心部における浸水被害対策として国と愛知県、名古屋市が一体となって建設した。最大貯水量約10万立方メートル (m3) で、雨水が急激に新堀川に流入することを防いで河川流域の浸水被害を抑えるものである 。工事は1982年(昭和57年)から開始されたが、その後に2号東山線の建設工事が割って入った。このため、公社は調節池の築造工事に支障なきよう施工内容を工夫するなどして道路建設を行った。調節池の完工は1986年(昭和61年)、高速道路の完工(吹上まで)は1988年(昭和63年)である。 上部工箱桁のボルト締めによる継手あり(上)と現場溶接による継手なし(下)の比較 若宮大通区間に入ると箱桁が垂直(奥)から逆台形(手前、若宮大通側)に変化する(白川出入口付近) 久屋大通との交点では花壇とピラミッドを設置 沿道との一体化も図られた フットサルコート(供用開始は2005年) 堀留水処理センターと若宮大通
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