独立戦争での従軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 06:44 UTC 版)
「ベネディクト・アーノルド」の記事における「独立戦争での従軍」の解説
イギリスはアーノルドに准将の位を与え、数百ポンドの年収を付けたが、その陰謀が失敗したために6,315ポンドの報酬と年金360ポンドしか払わなかった。12月にクリントンの命令で、アーノルドは1,600名の部隊を率いてバージニア植民地に遠征し、リッチモンドを急襲して占領し、バージニア中を暴れまわって物資倉庫、鋳造所および製粉所を破壊した。この行動でバージニアの民兵隊が出動したので、アーノルドはバージニアのポーツマスまで退却し、撤収するか援軍を待つしかなくなった。追撃するアメリカ軍の中にはラファイエット侯爵がおり、アーノルドを捕まえれば即座に絞首刑にするようワシントンから命令を受けていた。ウィリアム・フィリップス(サラトガではバーゴインの下で働いていた)が率いる援軍が3月下旬に到着し、フィリップスはさらにバージニア中の襲撃隊を率いて廻り、ピーターズバーグの戦いではストイベン男爵を破ったが、1781年5月12日に黄熱病で死んだ。アーノルドはその部隊を5月20日までの短期間率いたが、チャールズ・コーンウォリス将軍がその南部軍を率いて到着したので指揮権を渡した。ある大佐はクリントンに宛てた手紙でアーノルドについて「誰か他の将軍に指揮を執って欲しいと願わねばならない多くの士官がいる」と書き送った。コーンウォリスは海岸から遠く離れた所に恒久的な基地をおくというアーノルドが提出した忠告を無視したが、それを実行しておればヨークタウンでの降伏は避けられていたかもしれない。アーノルドは捕虜として捕らえた士官に、大陸軍がアーノルドを捕らえたらどうするだろうと尋ねた。その士官は、「あなたの右足を切り取って軍葬の礼で埋葬します、そして残りの体を絞首台に掛けます。」と答えた。 アーノルドは6月にニューヨークに戻ると、アメリカ人に戦争を終わらせることを強いるために基本的に経済目標を攻撃し続ける様々な提案を行った。しかし、クリントンはアーノルドの攻撃的なアイディアのほとんどに興味を示さなかったが、最後は折れてコネチカットのニューロンドン港を襲撃することは認めた。9月4日、アーノルドとペギーの2人目の息子が生まれてから間もない日に、アーノルドの1,700名の部隊はニューロンドンを襲撃して燃やし、グリスウォルド砦を占領して推計50万ドルの損失を与えた.。イギリス軍の損失も高く、部隊の4分の1近くが戦死または負傷となり、クリントンがそのような勝利はこれ以上容認できないと主張するような率になった 。 10月にコーンウォリスが降伏する前であってもアーノルドはイングランドに行ってジャーメイン卿にこの戦争に関する彼の考えを直に伝えたいことについて、クリントンの許可を求めた。コーンウォリス降伏の報せがニューヨークに届くと、アーノルドはその要請を再開し、今度はクリントンも認めた。1781年12月8日、アーノルドは家族を連れてニューヨークからイングランドに向けて旅立った。ロンドンではトーリー党に与し、ジャーメインや国王ジョージ3世に助言を行いアメリカに対する戦争を再開するように言った。下院ではエドマンド・バークが、「あらゆるイギリス軍士官が命よりも大事にする真の名誉感が動揺させられることのないよう」政府は決してアーノルドを「イギリス軍の一部の長に」据えることのないようにという希望を表明した。アーノルドにとって不利になったことに、反戦派のホイッグ党が議会で多数となり、ジャーメインは辞任を強いられ、程なくフレデリック・ノースの内閣も倒壊した。 アーノルドは、その後クリントンに代わって総司令官となってニューヨークに向かうカールトン将軍との同行を申し出たが、この要請は埒が明かなかった。その後の数年間、政府あるいは東インド会社に職を得ようという別の試みは全て失敗し、非戦時の減額された給与で生計を立てるしかなくなった。アーノルドの評判もイギリスの新聞で批判され、特にその愛国心を祝されたアンドレ少佐と比較された時がひどかった。ある特に厳しい批判では、アーノルドが「ちんけな商人で、略奪のために目標を選び、その咎で有罪になったときにそれを辞める者」と言っていた。ジョージ・ジョンストンは東インド会社の側を断る時に「私は貴方の行動の純粋さに満足するものであるが、大衆はそうは考えない。この場合には、この国のいかなる権力も東インド会社で貴方が目指す立場に突然置くようなことは無いだろう。」と記した。
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