物語3
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:20 UTC 版)
「馬車の比喩」、「輪廻転生」、「想起説」、「イデア論」、「線分の比喩」、および「エルの物語」も参照 3番目にソクラテスが披露した話は、『国家』の最後で述べられる「エルの物語」とも関連した内容で、輪廻転生や魂の想起説、イデア論、あるいは『国家』の「線分の比喩」などに見られる「視覚と思惟の対比」といった多彩な要素が盛り込まれた物語となっている。また魂の三分説を表現するために、馬車の比喩が用いられている。 ソクラテスはまず、前2つの話の「恋(エロース)が狂気(マニア)であり、他方が正気(ソープロシュネー)だから、自分に恋していない者の方に身をまかせるべき」という主張は誤りであり、その理由は「狂気(マニア)」が必ずしも悪いものというわけではなく、我々の身に起こる数々の善きものの中でも、最も偉大なものは、神から授かって与えられる「狂気(マニア)」を通じて生まれてくるからだと主張する。 神から授かる「狂気」が善いものである証拠として、第1に、デルポイ、ドードーネー、シビュラなどの神託や予言は、「狂気」(神がかり)によってもらたらされ、国家にも個人にも役立ってきた。(アポローンによる予言の霊感) 第2に、かつて先祖の罪の祟りによって、疾病・災厄に襲われた氏族があった時、神に憑かれ「狂気」が宿った者が、神々への祈願・奉仕によって罪を浄める儀式を探り当て、救ったことがあった。(ディオニューソスによる秘儀の霊感) 第3に、ムーサがもたらす「狂気」(神がかり)は、様々な詩に情を盛り込み、古人の業績を言葉で飾り、後世の人々の心の糧になる。正気のまま技巧だけで立派な詩人になろうとしても、うまくいかない。(ムーサによる詩的霊感) このように神から授かる「狂気」は偉大な善きものを生み出す。 最後に、第4の神から授かる「狂気」である「恋」が、こよなき幸いのために授けられることを証明しなくてはならない。(アプロディーテーとエロースが司る恋の霊感) これを証明するためには、「魂」の活動やその本性について知らなくてはならない。 「魂」は「不死」であり、その似姿は「二頭立ての馬車(チャリオット)とその御者」として表現できる。二頭の馬と御者にはそれぞれ「翼」が生えており、右の馬は美しく節度・慎みのある善い馬だが、左の馬は醜く放縦・高慢な悪い馬である。「翼」が生えた状態の「魂」は上空で神々と共にある。 この左の悪い馬をしっかりと訓練していない「魂」は、天球外の「真理の野」にある様々な真実在(イデア)を観照する饗宴(あるいは秘儀)を開くため天球の頂上へと上り詰めていく神々を追っていく際に、この馬が下へと引っ張る重荷となって、天球を超えられずに似たような「魂」と踏み合い突き合いとなり、「翼」を傷つけたり折ったりして地上に堕ち、これまで真実在(イデア)を見た数の多寡に応じて、ふさわしい人間の肉体に寄生し、新たな「翼」が生える一万年後まで、1000年周期の自己選択による輪廻転生を10回繰り返すことになるが、3回連続で愛知の生涯を送った「魂」だけは例外的に、その3000年のみで「翼」が生えて飛び去っていける。 我々人間の知る働きは、雑多な感覚から出発して単一なる形相(エイドス)に即して行われるが、これは我々の中の「魂」がかつて見ていた真実在(イデア)を「想起」しているに他ならない。 人の「魂」がこの世の「美」を見て、真実の美を「想起」し、翔け上がろうと羽ばたくがそれができず、鳥のように上方を眺め、下界のことをなおざりにする時、「狂気」であると非難を受けるが、この「狂気」こそが全ての神がかりの中で最も善きものであり、また最も善きものから由来するものである。 「美」以外にも「正義」「節制」など「魂」の「恋」の対象となる徳性・善きものは数々あるが、それらは人間の肉体の感覚で捉えることができないので「想起」する力が弱い。「美」のみが善きものの中で唯一、「視覚」という最も鮮明な感覚を通して、かつての輝かしい真実在(イデア)に近い形で捉えることができるものであり、最も強く「想起」の力、「恋」ごころをかき立てることになる。 かつての観照(秘儀)の記憶が薄れたり堕落した「魂」は、「美」を見ても、「美」の本体へと向おうとはせず、肉体的な快楽・放縦にふけるが、観照(秘儀)の記憶をよく留めている「魂」は、「美」を見ると畏怖を覚え、その後、異常な汗と熱と共に「視覚」を通して受け入れた「美」のうるおいによって、「翼」が生えていた部分が溶かされ「翼」の芽生え・成長が始まる。美少年を見る時も同じである。しかしその「美」(美少年)から離れ、うるおいが涸渇すると、「翼」の出口は再び塞がり、「翼」の芽は体内に閉じ込められて出口を刺戟するので、離れた「美」(美少年)のことを思うだけで喜びと苦しみが混じり合った不思議な感情に惑乱し、「狂気」にさいなまれる。しかし再びその「美」(美少年)を見ると、うるおいによって「翼」の出口を開き、刺戟の苦悶から解放される。したがって、「恋」する者は、その相手から昼夜を問わず離れず近くにいようとするし、何よりも大切にする。そしてかつて上空で加わっていた隊列を率いていた神に対するように、相手を崇敬し、その「魂」が神のそれに近づくようにあらゆる努力を尽くす。それによって相手も「恋」する者を受け入れるようになるし、2人が接していく中で「恋」する者の中の「美」のうるおいの流れが外へと流れ出し、相手の「視覚」を通ってその「魂」へと達し、その「翼」を生えさせる。こうして相手の中にも「恋」が生じる。 こうした「恋」する2人が、知を愛し求める秩序ある生活を送れたならば、生前も幸福だし、死後も3回求められる愛知生涯の1つを終えたことになり、これに勝る善きものは無い。仮に2人の生き方がもう少し俗なものであったとしても、その「魂」は「翼」を生じようとする衝動を持ちながら肉体を離れて行くことになるので、その報奨は決して小さくない。このような「恋」の「狂気」がもたらす数々の偉大な幸いと比べると、「恋」していない者がもたらすこの世だけの「正気」と混じり合ったけちくさい施しは、相手の「魂」の中にけちくさい奴隷根性を産みつけるだけである。
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