浪漫的原始主義の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:43 UTC 版)
「高貴な野蛮人」の記事における「浪漫的原始主義の特徴」の解説
我々はこの海岸に到着した際、(中略)狩猟と森の天然の果実によって生きる野蛮人を発見した。彼らは(中略)我々の船と武器を見ると大いに驚き、山へと逃げ出した。しかし、我らの兵はこの国の風景と鹿狩りに興味があったので、逃げ出した野蛮人らに出会うこととなった。野蛮人の指導者は彼らにこう言った。「我々はあなた方のせいで、快適な海岸を放棄することになった。だから我々はこの不便な山以外には何も持っていない。少なくとも、平和と自由は我々に残すのが筋だろう。行け、そして忘れるな、あなた方が生きているのは我々の人情のおかげであるということを。優しさと寛大さを教わったのは、無作法で野蛮と呼ばれる人々からだということを。(中略)大望と栄光と言う俗な名のもとに、(中略)我らの兄弟の血が流される無慈悲な行為を我々は嫌う。(中略)我々は、健康、質素、自由、そして心身の活力に価値を置く。美徳、神への畏怖、隣人への善、友への気遣い、世界への誠実、節度を守った繁栄、逆境への不屈、真実を語る勇気、そして甘言への嫌悪。(中略)もし怒れる神々があなた方を盲目にし、平和を拒絶させた時、穏健で平和を愛する人々が戦争で最も恐るべき人物であることが分かっても、もう手遅れだろう。」 — フランソワ・フェヌロン、テレマックの冒険』(1699年) フェネロンが上で列挙したような純正な人間の特質(おそらく隣人愛を除いて)は、紀元前1世紀のタキトゥスの著書『ゲルマニア』においては、弱められローマ化されたガリアとは対照的なものとして、野蛮人のゲルマン人に帰されていた。タキトゥスは自身のルーツから抜け出すため、自身のローマ的文化を批判していたのだろうと考えられている。タキトゥスの描写するゲルマン人は「黄金時代」の安寧に生きてはいなかったが、頑強で困難に耐え、この特質は文明生活の退廃的な弱さよりも好ましいとタキトゥスは考えていた。古代においてこのような形の「ハードな原始主義」は、賞賛するにせよ嘆かわしく思うにせよ(どちらも一般的な態度であった)、失われた黄金時代の安寧と豊穣というビジョンにおいて、「ソフトな原始主義」の修辞学的な対照として併存していた。 美術史家のエルヴィン・パノフスキーは次のように解説している。 古典的な思索の創始期から、人間の自然状態というものに関して2つの対照的な意見がありました。言うまでもなく、互いに、それが形作られた条件に対してそれぞれが対となる(「Gegen-Konstruktion」)ものです。第1の見解は、アーサー・O・ラヴジョイとジョージ・ボアズが執筆した啓蒙書において「ソフトな」原始主義と言う言葉で表現されたもので、原始生活を豊かで・無垢で・幸福な黄金時代と考えるもので、言うなれば悪徳が一掃された文明生活と捉えるものです。もう一方の「ハードな」原始主義は、原始生活を恐ろしい困難に満ちた・あらゆる快適さを欠いた・ほとんど人間以下の存在として考えるもので、言うなれば、文明生活からその美徳を取り除いたものと捉えるものです。 — エルヴィン・パノフスキー, 美術史家 18世紀、原始主義に関する議論は、スコットランドの人々の例を中心とするものが、アメリカインディアンに関するものと同じくらい頻繁に行われた。ハイランダーの失礼な態度はしばしば軽蔑されたが、彼らのタフさは、スパルタ人とゲルマン人が古代に行った物と同じく、「ハード」な原始主義者の間でいささかの称賛を呼び起こした。スコットランドのある作家は、ハイランドの地方民を次のように説明している。 彼らは敏捷性を必要とするすべての運動においてローランダーたちを圧倒している。彼らは信じられないほど節度があり、空腹と疲労に耐える。天候に対しては鋼のごとく強靭で、旅行中、地面が雪で覆われているときでも、家や避難所を探すこともなく、プラッド(スコットランド人が使う格子縞の布)に身を包み込み、大空という外套の下で寝る。そのような人々は、兵士の質においては、無敵だろう — トバイアス・スモレット、ハンフリー・クリンカーの遠征
※この「浪漫的原始主義の特徴」の解説は、「高貴な野蛮人」の解説の一部です。
「浪漫的原始主義の特徴」を含む「高貴な野蛮人」の記事については、「高貴な野蛮人」の概要を参照ください。
- 浪漫的原始主義の特徴のページへのリンク