池田清彦による構造主義生物学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 05:45 UTC 版)
「構造主義生物学」の記事における「池田清彦による構造主義生物学」の解説
(以下の説明は、池田清彦『さよならダーウィニズム』に基づく。) 構造主義生物学は、言語学者のソシュールや記号論のパースといった構造主義者の考えを生物学に応用しようとする試みである。 このアプローチは、命名行為、すなわち言語と非常に深い関係がある。言葉は世界を切り取って、何らかの同一性にはめ込む性質を持つ。科学は、このような「同一性」をなるべく明示的にしたい、という欲望や、現象をインバリアント(不変)でユニバーサル(普遍)なものに押し込めてしまいたいという欲望を常に持っている、と説明する。このような西洋の科学特有の発想の根底には、古代ギリシャのプラトンのイデア論がある、と指摘する。イデア論では、例えば猫なら猫のイデアが存在し、それは時空間を超越していつでも同じものとしてあると考えるわけであり、科学というのはそのような存在(イデア的存在)を発見することを目指しているとする。ところが、実世界にはそれほど簡単ではなく、例えば、「猫」を不変で普遍なものとして構想することはできない。それなのに、科学というのはなるべくそれを希求しているという。このような問題は、すでに中世にあった普遍論争における実念論と唯名論に関係している。 科学というのは、いつもどこかに、実念論的なものを構築したいという欲望を持っている。だが、実際の生物は唯名論的でしかあり得ないという宿命があるとする。ダーウィンが唱えた当初のダーウィニズムは、完全に唯名論的であって、例えば猫という種の実在をダーウィニズムは認めない、と述べる。ただ、唯名論だけではまともな科学になり得なかったから、生物の背後に遺伝子という実体が配置された、といい、それがネオダーウィニズムだ、という。猫の本質がDNAに還元できるというのは実念論であり、ネオダーウィニズムは遺伝子に関して実念論である、とする。ところが、この方法はH2Oが水だ、というぐらいならばまだ通用することがあるが、猫のような生物では通用しない。猫と猫のDNAは同じではない。猫のDNAは猫のDNAでしかなく、ネコのDNAを細胞内に持つ生物はネコと言えるが、ネコのDNAはネコではない。 また固有名で呼べるものなら同一性が担保されていると考える人がいるが、そうではないとする。例えば「タマ」なら「タマ」という固有名で呼ばれるネコも刻々と変化している(例えば子猫が親猫へ、親猫が老猫へと姿かたちも変化してゆく。昨日のタマと今日のタマも異なっている)。未来にどう変化するかも予測できない。言語は、シニフィアンとシニフィエから成るシーニュであるとソシュールは述べた。シニフィエは実体としてあるわけではなく、人間が適当にあるいは恣意的に決めている。例えば、何を犬と呼ぶかは、犬の実体に対してではなく、人間側が世界を適当に区切った分節に対して与えている。例えば、虹のことを日本人は7色だと考えているが、米国では6色と考えており、ズニインディアンは5色だと考えている。 ソシュールの考えたこのような構造主義がなぜ生物学に関係するかというと、1960年代に明らかになったアミノ酸とDNAの対応規則が、実は恣意的に決まっていると考えられるからである。世の中に存在するアミノ酸は200種類あまりとも言われているにもかかわらず、生物が使っているアミノ酸は20種類しかない。アミノ酸と塩基の対応はたまたま恣意的に決まっている対応恣意性のひとつの例であると述べている。研究者の中には、「遺伝暗号は物理化学的に一意に決まっている」と主張する人もいるが、そう考えるのは困難であるとし、いくつかの反例を示している。 「生物を構造主義的に見ようということは、遺伝暗号系以外のさまざまなルールもまた恣意的に決まっていると考えようということである」と述べている。遺伝暗号に限らず、さまざまな高分子間の対応は恣意的であると考えることと述べ、そう考えると、生物というのは、記号論的に世界を解釈している高分子の集合体と見たほうが、むしろぐあいがいい」と池田清彦は述べている。 構造の具体例様々な構造のユニット(恣意性を担う要素)、表面現象、および構造の本質構造(名)ユニット表面現象構造の本質個別言語構造(基底)シニフィエ、シニフィアン シーニュ シニフィエとシニフィアンの対応規則(ポジティブには実定不可能) 個別言語構造(連辞・連合関係)シーニュ パロール 連辞規則、連合規則 古典主義時代のエピステーメーシーニュ、外部現象 観察記述 外部現象に対して名称(シーニュ)を与えること クォークの構造クォーク 陽子、中性子 クォークの組み合わせ規則 遺伝暗号系塩基三連子、アミノ酸 タンパク質 三連子とアミノ酸の対応規則 免疫系抗原、抗体 抗原-抗体 ネットワーク 抗原-抗体 対応規則
※この「池田清彦による構造主義生物学」の解説は、「構造主義生物学」の解説の一部です。
「池田清彦による構造主義生物学」を含む「構造主義生物学」の記事については、「構造主義生物学」の概要を参照ください。
- 池田清彦による構造主義生物学のページへのリンク