棒
『ケルトの神話』(井村君江)「かゆ好きの神ダグザ」 ダーナ神族の1人ダグザは、魔法の棍棒と、竪琴(*→〔琴〕2)と、釜(*→〔無尽蔵〕1a)を持っていた。棍棒は、8人がかりでやっと運べるほどの大きさであり、片方の端で一振りすると9人を殺した。反対の端を振ると、死んだ者を生き返らせることができた。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第1日第1話 アントゥォーノが鬼からもらった杖は、「立て」と命ずると、そう言った当人の背中を続けざまに打ち、「座れ」と命ずるまで止まらない。この杖を用いてアントゥォーノは、かつて彼のロバを盗んだ宿の亭主をこらしめた。
『ペンタメローネ』(バジーレ)第2日第6話 化粧品売りの老婆が、王女プレツィオーサに魔法の棒を与える。棒を口に含むと熊に変身し、棒を口から出すと人間に戻る(*→〔父娘婚〕6)。プレツィオーサは熊になって、隣国の王子の庭園で飼われる。ある日、プレツィオーサが人間の姿になって金髪をくしけずっているところを、王子が見る。彼女はすぐに棒を口に入れ、熊に戻る。王子はわけがわからず、恋わずらいでベッドに臥して、「ああ、僕の熊ちゃん」と言う。熊が王子にキスをすると口から棒が落ち、美しいプレツィオーサの姿になる。
★2.如意棒。
『西遊記』百回本第3回 孫悟空は良い武器を求めて東海の底の龍宮へ行き、太さが1斗ますほど、長さが2丈余りの鉄柱を得る(これは大昔、禹が洪水を治めた時、江海の深さを測ったおもりである)。悟空が「もう少し細くて短いと使いやすい」と言うと、柱は手ごろな大きさの棒になった。両端には金の箍(たが)がはまっており、「如意金箍(きんこ)棒重さ1万3千5百斤」の文字が刻んである。この如意棒は自在に大きさが変わり、縫い針ほどになって耳の中にしまうこともできた。
★3a.金の棒。
王都建設(ペルー、古代インカの神話) 獣のような暮らしの人間を憐れんで、太陽神が息子の1人と娘の1人を下界へ送り、「金の棒を地面に打ち込め」と命じる。息子は方々で金の棒を打ち込もうとするが、地面に通らない。クスコの谷まで来て打ち込むと、ただの一打で、金の棒は大地に深く入り込んだ。息子は、彼の妹であり妻でもある女に言った。「父は私たちがこの谷にとどまり、住居を定めることを望んでいるのだ」。
『金枝篇』(初版)第4章第5節 洗礼者ヨハネの祝日(夏至)前夜、スウェーデンの人々は、ヤドリギで(もしくはヤドリギを含む4種類の木材で)占い棒を作る。日が沈むと、宝探し人がこの棒を大地に置く。もし宝の埋まっている真上に置かれたなら、棒は、まるで生きているように動き出す。
★4.男が棒に変身する。
『棒』(安部公房) 「私」はデパートの屋上で、子供2人の守(もり)をしながら街を見下ろしていた。身をのりだしたはずみに、「私」の身体は宙に浮き、「父ちゃん」という叫び声を聞きながら、「私」は1メートルほどの棒になって歩道へ落ちていった。死者を裁く役目の先生が来て、「私」をどう処罰するか、2人の学生と話し合い、「ここに置きざりにするのが一番の罰だ」と結論して歩み去った。雑踏の中で、誰かが「私」を踏んづけた。
★5.棒があれば、闇の中でも走ることができる。
『闇の絵巻』(梶井基次郎) ある有名な強盗は、何も見えない闇の中でも、1本の棒さえあれば何里でも走ることができたという。身体の前へ棒を突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうだ。「私」は新聞でこの記事を読んだ時、爽快な戦慄を感じた〔*「私」は長い間、山間の療養地(伊豆の湯ヶ島温泉)に暮らし、其処(そこ)で闇を愛することを覚えたのだ〕。
『七話集』(稲垣足穂)2「夕焼とバグダッドの酋長」 バグダッドの酋長が天幕から出たとたん、赤い棒で背中を殴られた。振り向いたが、誰もいない。目を上げると、加害者がわかった。それは赤い夕焼であった。酋長は弓を手に、白馬に飛び乗り、部下を従えて砂漠の西へ突撃した。
*太陽光線=針→〔光〕6bの太陽の光が目を刺すわけ(アルメニアの民話)。
*棒が訪れる→〔読み間違い〕3の 棒の手紙(日本の現代伝説『幸福のEメール』)。
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